AIイラストと表現規制
これ以上AI利用を伴う芸術表現について言及する気はなかったのだが、最近反AI派閥がさらに危ない方向へ使っていると聞いて流石にブレーキをかけたい。
そもそも論として、イラストを生成するAIというのは、利用者が指示した範囲でクリエイターの技術や作品を大量に取り込んで学習させ、その範囲内で指定されたイラストを出力するものだと私は認識している。
機械学習であるが故の様々な不安定さがかつてから指摘されていたのは記憶に新しい。
そして近日では、とあるイラストレーターの作品を集中して学習させることで、完全に模倣したイラストが生成できるようになった。ここがイラストレーター達の怒りに火をつけた原因であろう。本人が書いた覚えのないイラストに自身のサインまで残るようになった。金銭が発生するしないにかかわらず、これは明らかな著作権侵害であるというのが彼らの言い分だ。
確かに私もここまではまぁ理解できる。というよりも、こんなことが許されて言いわけはないので、そんな低レベルな争いを続けているくらいなら何も言うことはない、と私は以前締めくくった。
利用者に制限を設けるべきだ、個人の利用は禁止し、法の知識と倫理観を持った企業が法人利用のみできるようにすべきだ、というのは私も一部賛成する。
しかし今、AIイラストを憎む彼らは、さらに過激な行動に出ているようだ。AIの進歩は止められない以上、芸術表現の一つの道具として取り入れ活用すべきである、といった意見を出すクリエイターをもはや敵視し、それがこれからのクリエイターだというのならば、そんな芸術表現などまとめて燃やしてしまえと言わんばかりに、フェミニスト団体の中にある表現規制を進める団体に反AIを掲げる連中が合流したというのだ。
ここまでくると、ことの恐ろしさを彼らは何もわかっていない。行き着く先は、子ども達に持たせるキャラモノのグッズや、ターゲットに向けて色分けされたハイブランド商品も、全て法の下に同じ形、同じ色にされるであろう。服やカバン、下着から手荷物まで、全て法が定めたスタンダードとされるものしか作れないような世の中になるであろう。そこまでくると人と違うところは大きさくらいしかなくなるが、それを改造することも許されない世の中になるであろう。これらは全て、個人が勝手にデザインするという芸術表現に含まれるからだ。
となれば次は言葉狩りになる。女性の容姿を褒め称える表現が次々と禁止されていけば、いずれは何かを褒め称える表現が軒並み不適切なワードとされ、世の中で使えなくなるであろう。シンプルにキレイ、カワイイ、カッコいいすら言えない時代になってしまう。冬の夜を彩るイルミネーションも当然なくなるし、動物園や水族館、植物園はおろか、ちょっとした公園や自然の中で生き物を愛でる文化すらも、それを表現することは芸術表現であるとされれば軒並み消滅する。彼らはそれを望んだ団体とともに歩むと決意したのだ。安易なコピーを嫌い、一次創作者の著作権を守るために、もはやそれしか見えなくなってしまった結果、他人の産み出す芸術作品を全て燃やしつくそうとしているのだ。
流石にそれはやり過ぎだと気付いた人達も動き始めたが、彼らはもはや目的を達するか、明確に不可能であると国家権力に止められるまでは止まらないだろう。私にできることは、もはやコソドロを許してはいけないという低レベルな争いのまま、自由な表現を守れるか守れないかというところまで来ているということを知らしめるしかできない。
最後に、小説の挿絵にAIイラストを利用する出版社が燃やされたようだが、経営者としてコストパフォーマンスを鑑みてそう判断して、それを納得して作家が納品し、それを理解し納得して読者が買うのなら、外部からは現状としては何も文句は言えないと思うんだが、私の知識不足による安易な論理なのだろうか。