信と知、あるいは私家版純粋実践感情
よく考え、よく行うことは可能だろうか。これは多考多動を意味するのか。無駄な考えや無駄な動きが混じったらまずいのではないか。だとすれば、よく➡善くまたは能く、ならばよいか。太陽の運行や時間の連続など、日常的な信仰に基づいて生活を営んでいるが、これを批判することに意味はあるか。また、意味とは何か。意味は感性や感情で色を付けないと、知的に考えてもないと僕は思います。例え科学や文明が進歩しようと、ポルノグラフィティのアポロ11号のように、人の愛し方は変わらない。数や範囲は少なく、好き嫌いや得手不得手はあるかもしれませんが、人にやさしく時に厳しく、変わらずに愛していきたいと思います。それが、生涯貧乏で生涯愚鈍な僕の生き方だから。
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