『仕事本』
4月、緊急事態が宣言されてからの、様々な職業の方の「日記」形式の記録。よくぞ、このような企画を立ててくれたと拍手を送りたい。
”記憶”は薄れ塗り替えられていくので、出来事が起こっているときにリアルタイムで記録しておくことが何より重要だとあらためて思った。これは、貴重な記録だ。
感想に変え、備忘録として、気になった言葉を抜き出しておこう。
正直気づかないふりをしている。(中略)気づいてしまったらこの仕事はできない。(「ゴミ清掃員」)
現場の生々しい言葉に、背筋が伸びた。
ネットでデマの情報が拡散されるのも怖いが、”ネット”と“会社”でネット側に気持ちが傾いている自分も怖い。(「タクシー運転手」)
ネット上で根拠のないデマにより会社が非難された時の言葉である。火のないところに煙が立つことの恐ろしさ。
こんな状況にもかかわらず百名以上の乗客がコロナ疎開として沖縄を訪れるということに驚愕した。(「客室乗務員」)
そういう背景があったのかと納得と戦慄。疎開って何だよ。疎開なんて言葉を使うなよ、と思う。
どんどん忘れていくことを、漫画の中にこめることも大事だと思う。(「漫画家」)
ほんとうに大事。書ける人がこういう気持ちを持っていてくれることがありがたい。
政治の話をするときに恐怖しなければならない社会とは一体何なんだろう(「漫画家」)
何なんだろう。主体的に社会に関わることは当然のことなのだ。そういう意識を持つ人が、じわじわ増えていくことがまずは大事なんだろうと思う。
我々がいかに仮構のものに支配されて生きていることか。(「文化人類学者」)
これは、私も強く感じている。目に見えないことを怖れるのは、神話の時代から基本的には変わっていないのかもしれない。きちんと調べれば正しい知識に出会える。正しく怖れること。
挙国一致だ、コロナ国難の戦争だ、なんぞと、戦争を知らない戦後生まれの政治家がテレビで軽薄に叫んでいた反動だろうか?(「ジャーナリスト」)
後に記者は語る。「自分一人が幸福になるということは、恥ずべきことかもしれないんです」と。(カミュ『ペスト』からの引用、「ジャーナリスト」)」
権力に対する人間のた戦いは、忘却に対する記憶の闘いである。(ミラン・クンデラの言葉、「ジャーナリスト」)
84歳になるベテランジャーナリストの持ち出す言葉が刺さる刺さる。
夕飯はサバ。(「作家・広告制作企画者」)
生きることは食べること。日記に晩ご飯を書くのは私も同じなので、妙に親近感。何があっても、腹は減る、日は昇る。
あと、これは当たり前かもしれないが、全般に若い方ほど金銭的、精神的なダメージが大きい様に感じられた。目を開かされた気がする。
頑張る若い人たちに何ができるだろうか。