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タコNGです

全国のたこ焼き屋さんに申し訳ないが、僕はタコが食べられない。

たこ焼きにタコが入っていなかったとか、小さかったとか怒る人がいる。僕はタコが入っていない方が良い。

たとえ嫌いなものでも、新鮮であれば美味しく食べられたりすることがある。これは絶対旨いからと言われ何回か試したけど、ダメだった。生でも、火が通っていても苦手だ。

何がダメかというと、臭いだ。周りに「匂いなんてある?」と不思議がられるけど、間違いなくある。すり身に入っていてもすぐわかる。

刺身の食感も苦手だ。ほぼゴムではないか。噛みきれずにモゴモゴしているうちにあの臭いが鼻に抜けていくのである。うう。

タコが好きな人は、あの匂いも「おいしさ」のうちなんだろうと思う。そして、僕以外のタコ嫌いには会ったことがないので、自分が極めて少数派だという自覚はある。

かわいそうなのは僕の家内で、タコが好きなのに気を遣って食卓にあげたことがない。たこ焼きを作るときも、僕の分はソーセージにしてくれる。息子は平気でタコを食べる。妻と息子は銀だこが大好きである。

なお、イカは美味しく食べられる。刺身でも、焼いても、フライでも。イカとタコは似たようなものじゃないかと不思議がられることがあるけど、違うんだよなぁ。


人間の味覚はほとんどが匂いに起因するものだという。確かに、匂いがないとおいしさは半減どころか、ただ栄養を取るだけの作業になってしまうだろう。

それだけ食事で大事なウエイトを占める匂い。苦手な匂いを克服するのは難しい。

僕の周りにも、ピーマンが苦手で、チャーハンのみじん切りを全部避けて食べていたツワモノがいた。食べる前にすぐシイタケの存在に気付き、決して手をつけない豪傑もいた。

海鮮系の居酒屋のコースでは、しばしばタコ料理が出てくる。僕は飲み会の出来るだけ早い段階で隣の人と打ち解けておく必要がある。タコが出てきたら食べてもらわなきゃならないのでね。だから飲み会の序盤は過剰に社交的になっているかもしれない。


もし、世界がいろいろ大変なことになって、この世に残された食べものが「たこ焼き」しかなくなってしまったら。

そのときは、潔くタコだけを選り分けて周りに分け与え、タコ聖人の名を甘んじて受けようと思う。


タコが食べられないことを言いたいだけで、何をくどくど偉そうに語っているのか。


浅生鴨さんの『どこでもない場所』は大好きな本だが、海外で酢だこを食べるところだけは共感できなかった。悔しくはない。