『世界を、こんなふうに見てごらん』日高敏隆
おそれいりました。ヨンデル選書。
札幌三省堂書店「ヨンデル選書」に行ってきました。ツイッターや医療関係の著書などで有名なヤンデルさん(医師・市原真氏)の推薦本をフューチャーしたフェアーである。
なんやかやの騒動もあって、そのうち機会があれば行こうかなくらいにのんびり構えていたが、最終日だというツイート記事を目にしてしまった。
仕方なく、慌てて、給料日前なのに、行ってきました。
で、
はぁ、
良い本並んでいるわ。妻に小遣い前借りしてきてよかった。
読んでみたい本がいくつもあって悩みましたが、そこは心を鬼にして(お小遣いの範囲で)厳選するのであった。
さて、読み終えたところからぼちぼち感想でも書いていければと。
さっそく読み終えたのがこちら、
とても良い本。うすめの文庫で文章は平易、とても読みやすい。読みやすいが、中身はとても本質的で、頭の中がいい具合にかき混ぜられた。もしかしたら読む人によって印象はかなり違うかもしれない。
「はじめに」に書かれた言葉、
みな、ようよう今の環境に適応して生きている。
生きることへの深い共感は、そうやって生まれてくる。
このメッセージが全体を貫いている。
前半は、科学・研究全体に対する問題点、本質的な考え方の提案など、後半は具体的な研究生活に関する経験とそこから伝えるメッセージ、のような構成となっている。
科学的な考え方とは何か、ということについては、
いつもぼくが思っていたのは、科学的にものを見るということも(中略)そう信じているからそう思うだけなのではないかということだ。
何が科学的かということとは別に、まず、人間は論理が通れば正しいと考えるほどバカであるという、そのことを知っていることが大事だと思う。
「科学リテラシー」と言われる言葉の、本質的なところをついているのではないだろうか。「科学」を含めたものの見方については、
神であれ、科学であれ、ひとつのことにしがみついて精神の基盤とすることは、これまでの人類が抱えてきた弱さ、幼さであり、これからはそういう人間精神の基盤をも相対化しないといけないのではないか。
どんなものの見方も相対化して考えてごらんなさい。科学もそのうちのひとつの見方として。
科学ではなく知性こそが、このいきもののほんとうの力だと思っている。
このほかにも、科学・学問は「時代の思想」の影響を強く受けること、人間が関わった途端に「自然」はすでに影響を受けていること、科学で自然全体をコントロールすることは困難、など耳の痛い、しかし科学を志すものの心の中心には持っておくべき言葉が満載だった。
なんだか、こういう言葉だけ抽出してしまうと、ずいぶんリベラルな印象読になってしまわないか心配だなぁ。全くそんな印象はなく、真摯に自然と生物を見つめる、理性的な科学者の姿がある。
職業柄、科学(それも生物、農学)に多少なりとも関わってきた私にとっては、もう、刺さる刺さる。
「解説」に書かれていた篠田節子さんの言葉がとてもっしくっりきた。
京都での対談の折、私はこれまでの自分の物の見方、考え方について、極めて明快な言葉で肯定されたような気がして、うれしかった。
心底同感だった。
しかしその後(中略)あらためて自分の本棚を見回して愕然とした。
篠田さんの本棚には日高氏の翻訳書、著書が山のようにあったそう。知らず影響を受けていたとのこと。
手元にあるドーキンス『利己的な遺伝子』の翻訳者に名前を見つけて、私もびっくり。ほかにも『ソロモンの指輪』など関わった生物学関連の名著はたくさんある。モンシロチョウの雌雄認識だって受験生物の参考書で面白いなぁと思った記憶がある、それを実際に解明した研究者だったとは。
ごめんなさい。自分の世界が狭すぎて申し訳ない気持ちになる。
ヤンデルさんのおすすめ、追うしかない。