雨
あるときまで雨が嫌いだった。靴の中が濡れてグチュグチュいうのが、何にもまして不快だったからだ。それだから、梅雨なんていうのは本当にどうしようもない季節だと思っていた。
中学三年生の、ちょうど今頃の季節だった。
「好きです、付き合ってください。」と言った僕の耳は赤かっただろうか。
緊張が途切れた瞬間帰ってきた蒸し暑さに、階段の手すりの冷たさは心地よかった。
その日、彼女は階段の下で聞き耳をたてていた友人と帰っていった。
川沿いの桜並木に、ところどころ紫陽花が混じる帰り道を一緒に歩いたのは、それから一週間後。梅雨の入り、その少し前のことだった。
付き合っていることを、出来るだけ周囲に知られたくないという彼女の意向で、学校で話す機会はほとんどなかったから、この時間はその日の内で最も楽しみな時間だった。しかし、いざその時になると、その日学校であったことなど、当たり障りのない話ばかりして、お互いに気恥ずかしく、目もあわせられなかった。
そんな日が数日続いたある日。昨日と一緒、曇った空。地面に一つシミができたかと思うと、桜並木を鳴らして雨が降ってきた。天気予報は今日から雨だったから、僕も彼女も、幸い傘を持っていた。しかし、二本の傘のうち、開かれた傘は一本だけだった。
「雨に濡れるの、好きだから。」
傘を開くために立ち止まった僕の数歩先を歩く彼女は、空を見上げ、雨に打たれながらそう言った。極端な恥ずかしがり屋だった彼女が自分から好きなことを言ったのは、それが初めてだったから、彼女の気持ちに少しでも近づきたくて、僕は開いた傘を閉じてみた。
「確かに、なんかいいかも。でもさ、風邪ひかない?」
「大丈夫。私、バカだから。」
そう言って振り返った彼女と、目があった。彼女の白い顔の頬は赤く、僕が好きになったあの笑顔をしていた。
あつくなった耳をつめたい雨がひやしてくれることが、僕にはとてもありがたかった。もしかしたら、彼女も同じようなことを思っていたのかもしれない。
紫陽花も雨に濡れて、いつもより少し嬉しそうだった。
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