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僕の立場から捉える自己肯定感と承認欲求のゲーム・snsとの関連性

・概要

僕の母親との話し合いや、fujiさんの配信から得られた情報をもとに、なぜゲームやsnsに依存しやすいのかということに対する僕の考えを書いていきます。

・僕の立場

受験生、FPSゲームが好き、Twitterを使用している

(将来の夢のためではなく)難関大学合格をどうしてもしたいと思う人の思考が分からなかった。

・質問 : あなたはゲームやsnsをやめれますか?また、やめさせられたらどう思いますか?また、そう思う理由はなんだと思いますか?

この質問に対する率直な自分の答えをもってこの文章を読んで貰うと、様々な意見が持てると思います。

Ⅰ.なぜ「難関大学合格を目指そう」と思う人がいるのか

僕の考えたこの問いに対する答えの1部であろうと思われるものは、
❶目標達成による自己肯定感を得るため
❷承認欲求を得るため
❸承認による自己肯定感を得るため

・❶の自己肯定感を得るというのは?

難関大学に合格したい人がすることはなんでしょうか?
凄い簡潔に言うと、

《目標設定→プランニング→実行 》

ではないでしょうか?
言ってしまえば非常にめんどくさいものです。
・「目標設定」 : 何を目標にするのか決める
・「プランニング」 : 何をどうやって何時行うのか決める
・「実行」 : 長期間、成長や進行度の実感を得にくい中で継続

見ただけで面倒くささが溢れ出てますが、
この目標設定→プランニング→実行の流れまでを行い、その結果、達成をしたのであれば
「自分は出来る、出来る人間なんだ、夢を実現できるんだ、」という自己肯定感が得られるでしょう。

・❷の承認欲求を満たすというのは?

仮に❶が上手くいって目標が達成出来たとしましょう。
ここで言えば、難関大学に合格できたということです。

その時点でその人には、「難関大学に合格した」というステータスが追加されます。
周囲の人からもその人は、その「難関大学に合格した人」というように見られるようになり、そうなる以前よりも関心を持たれやすくなるでしょう。

つまり、「難関大学に合格する」ということは承認欲求を満たせることに繋がるわけです。

・❸の承認による自己肯定感を得るというのは?

また、そのようなステータスを持つ人は、そのようなステータスを持たない人よりも周囲から必要とされやすいため、「自分は必要とされている」といった❶とは異なる自己肯定感を得ることにも繋がるでしょう。

Ⅱ.ゲームの特徴と自己肯定感・承認欲求との関連性

ここではfujiさんの配信から得られた情報も活用しながら、僕の考えを書いていきます。

・ゲームの特徴とは

・自分は何を目指すのか、がそもそも与えられている・設定が容易である。

自分が何を何時どのように行えば良いのかが与えられている・分かりやすい

・成長が比較的短期間で実感出来る。
目標までの進行度合いが分かりやすい

・つまりどういうことか

勘のいい方ならもう分かってしまっていると思いますが、
ゲームの特徴というのは、上で述べた理由❶である自己肯定感を得るのに必要となる

《目標設定→プランニング→実行 》

という、自分でしなくてはいけないめんどくさいもの全てが簡略化されているということです。もっと言ってしまえば、「楽をできる」ということですね。

例 「マリオ」
目標 : クッパを倒してピーチ姫を救い出してください。
プランニング : マップ1-1から進めていってください。
実行 : 今は1-4です。全体の約14パーセントの進行度です。

例「シージ」
目標 : ラウンド勝利してください。
プランニング : 壁を補強してください。
実行 : 「あそこでミスをしてしまった(失敗)→次はあれはせずこうしよう(改善)」、「最近強くなったな(成長の実感)」

シージなどの競技性が高い、と言われるゲームは自分たちでの《目標設定→プランニング→実行》も必要になってきますが、大学受験や仕事などの、目標達成にこの一連の流れを必要とするものと比べると、短期間で目標達成に繋がることが多いでしょう。そしてそれは、短期間で、簡単に、自己肯定感を得られることを意味していますよね。

・さらに

❷の承認欲求については、自分の成長が「ゲームが上手い」というステータスを得、他のプレイヤーから注目されることで満たされるようになります。

また、自分が上手くなることは「君がいなければなりたたないよ」「強い、上手い」という周囲からの発言が増え、これは「自分はここにいてもいい」「僕はゲームが上手いんだ」といった、自己肯定感である❸を得ることにも繋がるのではないでしょうか。

・総じて言えば?

通常ならば、時間や労力を尋常ではないほど費やして得られることが、ゲームというものでは通常よりは短期間で簡単に得られる。
だからこそゲームに依存してしまい、他の難しい目標にチャレンジしようという気持ちが生まれにくくなってしまい、チャレンジしようと思ってもどうしてもゲームから離れることが出来ない、となってしまう人が多いのでしょう。

Ⅲ.SNSの特徴と自己肯定感・承認欲求との関連性

snsと自己肯定感・承認欲求は切っても切り離せないものですよね。
今回は特にTwitterについての僕の考えを書いていきます。

・なぜFF機能で不快な思いをしたりするのか?

「フォローしたからフォローしてください」
「相手からフォローしてきたのにいつの間にかフォロー外されてた、ムカつく」
「フォロー数よりもフォロワー数が多い人は偉い(地位が高い)」

こんなツイートを見かけたことはないでしょうか?
僕も以前こう思っていたことがありました。
しかし何故かと聞かれても「何となく」と答えることしか出来なかったと思います。

しかし、ある時この何となくとしか答えようのなかった問に対して答えられる考えが思いつきました。

それは、
「相互承認による承認欲求の充足」です。

分かりやすく言えば、
「私はあなたを承認するから、あなたも私を承認してね」という一種の約束事のようなものを作ってしまっているわけです。自分の承認に対して、見返り・対価を求め、実際にそれが得られることで承認欲求が満たされているという状態です。
ここでいう承認は、Twitterでいう「フォロー」ですね。

この約束事が破られると、自分は相手を承認しているのに相手は自分を承認することを無断で放棄した、自分の行為に対して見返り・対価を得られなかった、と感じて嫌な気持ちになるのでしょう。

「フォロー数よりもフォロワー数が多い人は偉い(地位が高い)」という考え方は、相互承認を基本である中で、「見返りを与えなくとも承認して貰えるほどの"魅力がある人"」と言う認識に基づいているのでしょう。
また、そのような人になろうと思い、所謂「リムる」という行為をするのは、自分を"魅力がある人"にすることで自己肯定感を得ようという心理に基づいているのではないでしょうか。

・なぜツイートをやめられないのか

ここでは、Twitterで得られる承認欲求や自己肯定感の特徴から、なぜツイートがやめられないのかについての考察を書いていきます。

僕は、「Twitterでの承認欲求の充足はそのまま自己肯定感に繋がる」と考えています。❸の考えですね。
つまり、Twitterの機能である「フォロー、いいね、リツイート」という承認がそれをされる側の自己肯定感に直結するということです。

分かりやすい例だと、
①自撮りをツイートする
②フォロー、いいね、リツイートを貰う
③「自分ってカッコイイんだ、かわいいんだ、美しいんだ」
みたいなものでしょうか。

「自分のステータス」(容姿、趣味、所得物、話の面白さ、など)を承認してもらうと自己肯定感が得られる、ということです。

しかし、Twitterでの承認には、
「刹那的で部分的である」という性質があります。

これがツイートがやめられない理由の最たるところであると僕は考えています。

・Twitterでの承認が刹那的とはどういうこと?

では唐突ですが、ここで質問です。
「あなたは3日前にどんな人からどんなツイートに対して、いいね、もしくはリツイートを貰ったのか覚えていますか?」

おそらく多くの人が「NO」と答えるのではないでしょうか。

では、もうひとつ質問です。
「あなたは、以前に何か努力をしたり時間を使って目標達成をして周囲から貰った承認(凄いじゃんなど)の言葉をひとつでも覚えていますか?」(例えば仕事での成功や志望校合格)

おそらく、そのような経験をしたことがない、という人以外は「YES」と答えるのではないでしょうか。

これが意味するところが、「Twitterの承認は刹那的」ということです。
Twitterの承認は自己肯定感と結びついていますが、
《目標達成→プランニング→実行》などのプロセスを踏んで得られた承認や自己肯定感とは違い、すぐに消えてしまうことが多い、ということなんです。
例え10万いいねほどの承認を貰ったとしても、1週間もすればその承認を行った人はそのことを忘れ、結果として承認は無くなります。

消えてしまった承認をもう一度得るにはどうすれば良いでしょうか?簡単ですよね。
「またツイートすればいい」んです。
そうすれば再び承認を得られますからね。

しかし、そのツイートの承認もすぐに失われるでしょう。
そうなると「またツイートすればいい」となり、その行為を繰り返すようになるでしょう。

Twitterでの承認は刹那的。しかもツイートすること自体は非常に簡単で、時間もかからない。だから何度も繰り返してしまう。結果やめられない。
これが『ツイートがやめられない理由』の1つなのではないでしょうか。

・Twitterでの承認は部分的とはどういうこと?

Twitterは匿名です。
しかも、自分がどんな人物かなんて、隠そうと思えばいくらでも隠せるわけです。
僕も自分が受験生だ、なんて言わなければ知られることは殆どないでしょう。
それはつまり、
「自分でどんな自分を見せるのか、ということを選択出来る」
ということを意味します。

承認してもらう際に不都合になるかもしれない不安要素を自分で削除出来る訳ですから、その承認は所謂「リアル」での承認よりも少なからず部分的になりますよね。

例えは悪いですが、「人に好かれない見た目をしているが、話がとても面白い」という人がいたとしましょう。
どんなに人に好かれない見た目をしていても、自撮りをツイートしなければそのことがTwitterでその人を承認してくれる人に伝わることはないので、その人は「人に好かれない見た目」という不安要素を削除し、「話が面白い」という要素のみでTwitterの人から見られるので、リアルでその人の見た目を知っている人に比べて、 承認されやすい ということになるでしょう。

また、Twitterだけではありませんが、○○界隈という言葉があるように、自分の所属するコミュニティを自分で選択出来るというのも関係していると僕は思います。
無意識のうちにも、「自分と同じような意見や価値観を持つ人たちと関わるようになった」ということはあると思います。
「ブロック・ミュート」という機能を使えば上のようになっていくため、自然と、「リアル」と比べて自分にとって非常に居心地がよく、承認されやすい環境が形成されていきます。
さらに、承認を得ることで「やっぱり自分の考えは正しいんだ」という自己肯定感を得ることさえ出来るのです。
しかし、それは自分にとって都合の悪いことを排除した極めて部分的なコミュニティからの承認となっていくため、極端に偏った思考を持つことに繋がる危険性を孕んでいることも意味しています。

見せたい自分だけを見せることができ、そのため全ての自分を見せた状態よりも承認されやすい。
無意識にでも、自分が承認されやすい環境を選ぶため承認されやすい。
「部分的な承認を簡単に得られる」
これも『ツイートをやめられない理由』のひとつなのではないでしょうか。

IV.あとがき

どうでしたか?
ドキッとした人もいれば、「違うと思う」と思った人もいるでしょう。
かくいう僕も、やはり惰性でゲームやsnsを続けてしまうという日々を送ってしまっています。
しかし、自分のしている行為が何を意味しているのか、ということを自分の中で納得する(そもそも間違ったことなのかもですが笑)前よりは、明らかに制御ができているように思います。

1番最初にした質問はこの文章を得て何か変化しましたか?

もし最後まで読んでくれたあなたが、この文章を読んで得るものがあった、何かしらの意見や考えを持てたと言うのであれば幸いです。

また、まともに文章を推敲しておらず思いつくまま書いたので読みにくかったり、変な文章になっていたり、矛盾点があったかもしれませんがそこには目をつぶって頂いて、自分なりの解釈や付け加えをして貰えるとありがたいです。

以上をもって、僕の承認欲求と自己肯定感を得るためのnoteを終わりたいと思います笑

拡散や感想を頂けると、僕の承認欲求と自己肯定感が満たされて嬉しいので、良ければお願いします!


ありがとうございました!

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