的リックスの的を未来に向けて射抜ける
こんばんわ神明です。
話題の映画「マトリックス レザレクションズ」を鑑賞しましたが、特に感想など記すものではないので、ネタバレ、考察記事が好きな方の期待には答えられないかもしれません。
問題はラナ・ウォシャウスキー監督が、知らんうちに女性へと転身していたことによります。
情弱である神明は、この事実を知らずに映画に挑んだわけですが。
我々が生き抜いていく選択肢のひとつとして「女性になる」という選択と、「やっぱり男性のまま生き抜いていく」という選択肢がある場合、世界線はざっくり二つに別れるわけです。
監督が「女性として生き抜いていく」事を選択しなかった場合、レザレクションズのメガホンを取らなかった可能性が出てきますよね。
逆もまたしかりで、男性のままマトリックス世界の続きのメガホンを取った可能性もあるわけです。
我々は現在、女性視点にて描かれたマトリックス レザレクションズが公開されている世界線にいるわけですが、振動数のブレによって発生する「男性目線によって描かれたマトリックス世界の続き」が公開されている世界線も存在してくるわけです。
もしもこの記事を「男性目線のまま描かれたマトリックス世界の続き」が公開されている世界線の誰かが読んでいる場合、2つの世界の繋がりが存在してくるので、2つの異なる世界の交わりが起きて、男女の交わり方の形も変わってくるのやもしれません。
男性と女性では別々の世界を生きている可能性があり、まぐわひという行為は2つの世界線をつなげる役割があるのかもしれません。
ゆえに絶頂に達する時は快楽を味わうことができて、絶頂に達しなかった場合はどこか物憂げな夜を過ごすことになります。
この仮定においてクンニリングスを行う場合、さぁ…世界を繋げるための前哨戦である!という心意気を持って挑む必要が出てくるわけです。
よいかな?
女性を大切にするという事は、そのまま世界を大切にするという行為にもつながり、新たなる可能性を産む可能性があるという事を肝に命じてデートに誘うのが漢気という哲学にもなるわけです。
的を射抜きたいのであれば、世界を大切にすることからはじめるという理論が成り立つわけです。
イキ切るということは全ての可能性を集めて全部出す!という気概が必要なのかもしれませんな。
ちなみにキルビルとイキ切るには、何の因果関係もございませんのであしからず。
ではよき夢を。
果てにあるのはディストピアではないという印が、ユートピアになるわけです。
ユー(君)とピュア(純心)ですぞ。
ではよき無念無想を。
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