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黙視録
こんばんわ神明です。
連休と練乳の違いを考えていると1日が終わります。
ところで。
1,000年後の世界の様子など知る由もない。
というのが一般的な物の見方だと思います。
ただ我が闇歴の流れからすれば、1,000年後であろうが1時間後であろうが漆黒である事に変わりはないという認識となります。
一般に予言という物は、とこぞの誰かがさぞ偉そうに宣ったモノを、またぞろどこぞの誰かがさぞ怯えながらプロモーションして広まったモノであると考えられます。
世界の行く末が見えるとか、見えないとかという事よりも。
「氷の微笑」のシャロンストーンよろしく、足を組み替えた時に「見えるのか見えないのか」の方が重要だと思わんかね?
預言者が宣う予言だけではなく、日々暮らしているとある程度の「予測」を行いながら暮らしていると考えられます。
もうちょっとで洗濯用洗剤がなくなりそう…
とか。
このおもちゃならイケるかもしれない。
など。
何も世界の予言でなくても、個の暮らしの流れの見方であれば予言は可能であるという事になりますな。
ライフ・椅子・ビューティフル
とも言えます。
ちょっと背中が痛い時には、座り方に気をつけてください。
こういった予見における学問で使用する用語の一つに、
あそっかリップス。
という用語があります。
何も地獄の黙示録などという、おどろおどろしいモノだけではないのだよ。
真の啓示とはこういったモノなのだよ。
諸君。