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渇きの正体
こんばんわ神明です。
遠目から薄めで見るとオダギリジョーに似ていると言われましたが、遠目から薄めで見られると、大概の人に似ているのではないかと思われます。
実際の神明は漆黒をまとっているので、誰にも似てないのであしからず。
だけども。
この人に寄せておきたい。
とか
こんな感じのイメージで見られたいという、漠然としたキモチは誰しもあると思われます。
寄せるのか寄せないのかという問題になってきますけれども。
ここは寄せておきべきではないのかなと思う次第です。
似ても似つかぬとは申しますが、それは「今現在」そうなだけで、ひたすらに寄せておくと、なんとなく寄っていくものだという理論があります。
ただし長きにわたる、寄せておく時間というものが必要になるでしょう。
数日や数ヶ月で寄るのであれば楽チンではありますが。
たいがいのコトがそうだとは思いますが、長きにわたり手掛けたコトっていうのは、簡単にはがれ落ちないものであるという事です。
これを定着と呼びますな。
目をつぶってもギターの早弾きができるギタリストが費やした時間というものと同じ理論になります。
水滴の長年の滴りでコンクリートに穴を開けるようなものです。
穴は開くのです。
少なくてもへっこむくらいにはなるでしょう。
この時、穴はまだあいてないけれども、へこますコトはできたという部分に寄っているわけです。
引き続き水滴を垂らし続けるか、むきゃきゃー!!ってなって固いもんで穴を開けて一応の決着とするのか。
水滴で喉の渇きを潤す猫なら知ってるかもしれません。
この水には以外と力があるぜよ。
と。