104回目の東京電力本店前抗議・「脱被ばく実現ネット」が出した被ばくの実害をまとめた渾身の申し入れ文章
被ばくで苦しむ子どもたち「原発事故と小児甲状腺ガンの関係を認めて」
脱被ばく実現ネット 宮口 高枝
福島原発事故では膨大な放射能をまき散らした。
事故後、東電本社前には多くの人々が抗議で集まった。14年からは毎月第1水曜夜に合同抗議が始まり、今年5月で104回を迎えた。
毎回約100名の人々が集まる。抗議の前には太鼓が打ち鳴らされ、マイクリレーで東電に抗議し、申入れもしている。毎回、東電側に要請書を手渡し、回答に疑問があれば、再度提出、という形で続いている。
この度、私がかかわる被ばく被害を訴える「脱被ばく実現ネット」も、始めて要請書を提出した。「子ども脱被ばく裁判」の支援などを通じて、感じてきた状況や思いがこもった内容になったので、概要を紹介する。
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「東電福島原発事故から11年経ちましたが、原子力緊急事態宣言は今も発令されたままです。福島原発では、人が近寄れない高濃度の放射性物質が付着した瓦礫が残存する中、先の見えない被ばく労働、収束作業が続いています。放射性物質は空気中に放出され、風に乗り首都圏にも飛んできます。福島原発事故は終わっていません。
東京電力は、原発事故被害者の絶望、悲しみ、憤怒を理解し、責任をとらせようと被害者は各地で東電に対し損害賠償請求裁判を提訴し、裁判所は東電の原発事故責任を確定していますが、裁判所が認定する一人一人の賠償額は被害の大きさに比べてあまりにわずかで、愕然とします。
被害者たちが心底望むものは、原発事故前の故郷、人々がその地で生業を営み、家族が暮らし、子どもたちの歓声、人々の笑い声がはじける、普段の日常、風土に根ざし、歴史につながる故郷の暮らしを返せ!です。
11年経た現在、一部の帰還困難区域を除いて避難指定は解除されました。
公衆の年間被ばく許容量1mSvの20倍、年間20mSv以下になったから帰還せよという政策の強制は許されません。大量の放射性物質を振りまき、福島の山や川、大地を汚し、故郷を壊し、人々の暮らしを奪った東電の罪の深さを糾弾します」。
被ばくタブーと差別の中で
勇気を持って立ち上がった若者
続けてこう書いた。
「今年1月、小児甲状腺ガンを発症した6人の若者が立ち上がりました。6人は原発事故当時、幼稚園児、中学生、高校生でした。多くは3、4年後、福島県民健康調査で小児甲状腺がんが判明し、全員手術をしました。
甲状腺がんはゆっくり進行するガンで、手術の予後も良いと委員会の専門家は言います。しかし原告たちは、手術後、再発、再手術、RAIアイソトープ治療、肺に遠隔転移が見つかった原告もいます。
術後も体調が回復せず、大学を中退、就職した会社を退職、ガンと告げると不採用、等々。人生のスタートラインで扉を閉ざされた絶望、今後のガン再発の不安、治療費、仕事、自立して生計をたてられるかなどについて、考え、悩み、苦しんできました。
100万人に1人か2人の発症と言われる小児甲状腺ガンが、福島の子ども38万人に300人近く発症しているのはなぜなのか。県民健康調査検討委員会は小児甲状腺がんの多発を認めながら、過剰診断だと言い、原発事故との因果関係を否認します。
昨年7月に広島原爆の『黒い雨』被害者訴訟が認定したのは、内部被ばくは量ではなく、少しでも体内の組織に入り沈着すると、細胞を傷つけガンを引き起こすということでした。チェルノブイリ原発事故においては、小児甲状腺ガンと原発事故との因果関係が認定されています。原告らは、なぜ自分たちが小児甲状腺ガンを発症したのかを明らかにしたいのです。
『小児甲状腺ガンと原発事故の関係』は、タブー視しされ、原告は差別される恐怖でずっと隠してきた自分の病気を公表し、裁判所に『小児甲状腺がんと被ばくの因果関係』を認定させる。そして東電に賠償責任を果たさせるため、勇気を奮って立ち上がりました。そこで以下、要求します。
・東京電力は福島原発事故を起こし、放射性物質をばらまいた加害企業であることを認めて下さい。
・福島原発から放出された放射性ヨウ素と小児甲状腺ガンとの因果関係を速やかに認めて下さい。
・6人の若者たちの未来に責任を取って下さい。」
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被ばくのない世界を子どもたちに残す闘いは続く。
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