どろぼうの神さま、わたしの神さま

関内の有隣堂に行った。小中学生の時は親に連れられ、高校に入ってからは一人で行くようになった。品揃えが豊富でここに行けば大体欲しい本はあったし、こういう内容の本が読みたいなぁと漠然と思っていたとしてもその要望を満足させてくれる本に出会えた。おすすめの本屋は?と問われれば関内の有隣堂です、と即答するくらいに信頼している本屋だった。しかしそれから数年経って改装工事だったのか縮小工事だったのかはわからないけれど店舗が小さくなってしまった時があった(記憶が正しければ)。それまで信頼を置いていた本屋がそのような姿になってしまうのは見るに堪えず、それから足が遠のくようになったのを覚えている。
 今回そんな有隣堂、関内店に入ったのは偶然だった。出張でこちらに来る知り合いと野毛で酒でも飲もうという約束をしていて集合までにちょっとした時間ができた。どうせなら街でもブラつこうと思い立ち、気の向くままに歩いたまでは良かったのだが時期は夏、徐々に噴き出す汗に耐えきれずどこかで涼ませてもらおうと立ち寄ったのが前述の有隣堂だった。
 店に入ると空調が効いている。一階は家屋の姿と変わりなかった。適当に流しながら商品棚に目をやると、話題の本や新刊が並んでいるだけでなく何故かお菓子?ドライフルーツ?のようなものまで売っていて昔とは色々と変わったのかなと思った。続けて見ていると海外の翻訳本のコーナーがあった。そして昔ここである本を買ったのを思い出した。どろぼうの神さま、という児童書。
 私は昔それなりに本の虫な子供だったと思う。まだ読み書きに慣れてない頃に親からハリーポッターを読み聞かせてもらった。私は朗読を聴いてそのシーンを想像するのが好きだった。頭の中の登場人物が躍動するのに心を躍らせた。ただ続きが気になっても読んでもらえるのは寝る前の時間のみだったので先が気になっても自分が寝てしまったり、親が読むのを止めてしまったらその日はそこでおしまい。そのため徐々に自分1人で読むようになった。その後はメジャーなダレン・シャン、デルトラクエストとシリーズものを読みマイナー児童書にも手を出すようになった。その一つがどろぼうの神さまだった。
 どろぼうの神さまを買ったのはそれこそ有隣堂の関内店だったと思われる。当時別の理由で親と関内まで来ていたはずだ。児童書コーナーは上層階にあって平積みから壁の棚一面が児童書だったはずだ。その頃の私にとっては最大のエンターテイメントだった児童書には外れなどというものはなく、あらすじを見ても全てが面白そうに見えたため買う一冊を決めるのにかなり迷った。そうした末に決めたものがどろぼうの神さまだった。
 孤児だったり親元や預けられていた親戚の家から逃げてきた子供たち。支え合いながら生きていても金は要る。そんな子供達のために金持ちからお宝を盗んで持ってきてくれるどろぼうの神さま。ヴェネツィアを舞台に子供達の生き様が描かれる。と、あらすじを書いたつもりだけれど20年近く前に読んだきりなので合っているかは正直わからない。ただこの本を選んだのはあらすじというよりも表紙が気に入ったからだった。青色のカバーの表紙にはヴェネツィアの運河に架かるアーチ状の橋の上に立つ黒い衣装の少年。長い鼻のような、鳥の嘴のような仮面を着けている、まさしく怪盗という見た目。その絵が綺麗でこの絵に決めたのだった。300〜400ページのその本を読み終えた時は面白さからと、こんなに厚い本を一人で読み終えたという達成感を感じた。

 現在の有隣堂、関内店の児童書コーナーを探す。店内の案内を見ると店内は6階まであった。最上階のイベント&youtubeスタジオは本の陳列コーナーとは違うとはいえ、記憶にあった縮小された有隣堂よりも大きく、足繁く通っていた頃まで規模が元に戻っていた。目当ては4F、狭いエレベータに乗り込む。降りると正面に画材がたくさん並んでいる。美術系の本・画材の横を抜けて趣味のコーナーその左手に幼児向けの教育本、絵本と並んで児童書が並べられていた。
 壁に並べられた本は思っていたよりも種類は少なかった。昔は外国作家の翻訳児童書が凝った装丁でたくさん並んでいたが目の前に並んでいるそれらは、自分を特別な世界へ連れて行ってくれるとは到底思えなかった。もちろん読めば面白い本が大半だろうがその特別さが微塵も伝わらなかった。何気なく一冊手にとって背表紙の値段を見て棚に戻す。そこで約束の時間に近づいていることに気づいてその場を去った。

 記憶は美化されるものだから商品の充実さは昔も今ももしかしたら変わらなかったのかもしれない。身長もあれより伸びたから下から見上げる本の滝と正面から見つめるただの本の棚では感じる印象も異なるだろう。だからこそ今回行ってその記憶を思い出すことができてよかった。実家の自室にある本棚の一番下の一番端にある青い本。前から妙に目に入るその理由がわかった。それは有名なシリーズもの以外で初めて自分で選んだ本だったからだ。この本を読んだから他の児童書もページ数に恐れず読むことができるようになった。どろぼうの神さまが読めたのだから多少ページ数が多くても最後まで楽しく読めるはずだ、という勇気をもらえた。自分にとって、どろぼうの神さまがが本の大海へ泳ぎ出す際の最初の守り神となった。最初、と書いたのはその後に読んだ色んな本もそうなってくれたからだ。児童書に限らず、古典や難解な小説、エッセイ、ほかにも技術書色んな本が自分を支えてくれていたのだ。
 最近はほとんど本を読まなくなってしまった。なんなら本を読みはじめてもすぐに止まってしまう。それでも本を開くことに対して何も抵抗がないのは自分にとっての本の神さま達が浅い信仰心にも関わらず加護を授けてくれるからなのだろう。これを機会にまた大海に繰り出すため、小さい池ぐらいの文字の世界へ漕ぎ出してみようか。


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