読書感想文「訂正する力 東紀之」
著者は、かつてはテレビでよく見た論評家でしたが最近めっきり見なくなった方。
どうやら意図的に出演されていないようで、本書を読んで知りました。
本書を手に取ったきっかけは、企業内の人事の役割として、エンゲージメントだったり、風土や働き方の改革に取り組んでおり、トライアンドエラーが重要と身をもって実感し始める中で、なにゆえトライアンドエラーしにくいのかを考える機会が増え、本屋さんでウロウロしている際に目に留まったものです。
政治方面に明るい方なので、例示などは日本の政治トレンドに寄ったものが多いものの、「訂正する力」および、なにゆえに「訂正」しにくいのか、わかりやすく解説してあり、非常に腑に落ちました。
曰く、政治家が前言を翻すことができないのは、前言を翻すことで叩かれるのを恐れているということであり、そこそこ頭のいい人たちが、国民の納得のいかないことばかりするのはなんでだろうという疑問に、一筋の光を感じさせてくれます。
そして前言を翻すことができないのは、「変更すると叩かれる」という意識があるからで、それはすなわち、訂正を受け入れてくれる=許容してくれる国民ではない、とのこと。つまり政治家と国民の間の信頼関係がないのだ、ということです。
政治家と国民の間の話にすると、確証や実感がないため、因果関係を正だと言いにくいのですが、いざ企業内の経営層と従業員の関係に落とし込むと、非常に身を持って体験しているところです。
今風の会社であればわかりませんが、いわゆるJTCにおいては、人事部門は経営層のスタッフ色が強いかと考えています。従い、一般の従業員さんたちよりは、経営陣のお偉方と接する機会もあり、本音ベースもある程度わかったりします。
経営層のおじさん方は、小難しいことを言うこともありますし、立場柄嫌なことを言わなければいけない場合もありますが、今日日の偉い人はいいおじさんであるケースが多いかと思います。
そんなおじさんたちが、フラットで意見が言いやすい環境を目指しているのに、部下たちは遠慮と忖度の塊で、一向にフランクに接してくれません。そしてそのさらに部下たちは、中間管理職たちに対して遠慮と忖度の塊で、一向に本音のコミュニケーションが取れません。
そんな環境ですので、経営陣は従業員の本音が見えず、信頼し切ることができません。いざサーベイやアンケートでもしようものなら不満が一斉に吹き出します。不満を抱えていると思っている人に対し、信頼して自分の考えの移り変わりをすっかり開示し、誤りを認め、でもこれが正しいからと安易に訂正する気になれないのは理解する所です。そうすると、なんらかメッセージを発信する際にも当たり障りのない内容になり、考えが変わったとしても訂正する気になりません。なんとか理由をつけて、少し不合理ながら、全く違う話を、さぞ過去からの延長線上であるかのように理屈をつけていくこともしばしばではないでしょうか。そしてまさにそのよくわからない理屈づけが人事部門の仕事だったりします。そうして人事部門も従業員との距離が生まれ、、、というループにも思われます。
上の内容は、あくまで私が身を置いている環境においての実感なので、仮に人事部門の方に読んで頂けても、しっくりこない方もいらっしゃるかもしれませんが、上記のストーリーで、私は非常に理解した所です。
そんな企業内における弊害も、日本全体で誤りが許されないものだ、過去の発言を修正するのは叩いてもいいんだ、という全体認識があり、個々の場面でその姿勢を引っ張ってしまっているように思います。