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ティール型リーダーの育成論(仮説)

昨今、人事界隈及び一部の経営レベルで話題になっている「ティール組織」。その原点とされるケン・ウィルバー氏著作の「インテグラル理論」を読んだ。

今から書く内容は、「ティール組織」と「インテグラル理論」を読んだ方向けに自分なりに考えた仮説だ。仮説なのでこれから検証が必要だが、概ね方向性はあっているのではないかと推測する。

■ティール型リーダーの育成方法

ティール組織を構築・運営する上で最も重要な要素は仕組みではなく、リーダーシップであることは、既にティール組織の本の中で、著者が言及している。問題は、どうやってティール型リーダーを育成するか、その方法論となる。ティール型リーダーを育てられるのはティール以上に発達したリーダーだけだというのが本筋だし、恐らく真実だ。その一方、ティール型リーダーになるためには、十分に成熟したグリーン型リーダーになっている必要がある。成人発達はその階層を一足飛びに変化することは出来ず、段階を追ってゆっくり発達するからだ。

また、インテグラル理論において、成人の発達は原則として全象限、全レベルで扱う事が重要とされている。例えば自分自身のリーダーシップやコミュニケーションだけを扱えばよいのではなく、その他の領域(肉体的トレーニング、社会的コミュニティとの関わり、知識や知性の向上等)を総合的にバランスよく鍛えていく必要性があると言っている。なのでティール型リーダーが簡単に一直線的な成長プロセスで育成できるとは思わない方が良いだろう。

ただし資源は限られる為、個人毎に見極めを行い、特に弱い点を重点的に補強するのが現実的と思われる。インテグラル理論では、成人発達の段階を進めていく為には、「目指す段階の学習をしてはならない」と言っている。もし自分自身がある特定の発達段階でとどまっていると感じたならば、「より前段階の領域を健全化するように扱うべき」と言っている。ここは重要な示唆をもたらしてくれる。

端的に言えば、ティール型リーダーになりたければ、ティールを学んではならない、それよりも前段階の健全化を促進せよ、という事だ。


■ここからは仮説

では、具体的にどのようにすればよいのか?
今回、ティール型リーダー育成論では3つの仮説の提唱をしたい。

①各段階の発達においては各々重要なキーファクターがある。それに対し、より直接的にアプローチできる教育コンセプト、教育カリキュラムを特定する。

②全てのリーダーは、ベージュ、マゼンダの段階を今一度徹底的に見直し、機能不全になっているところの健全性を取り戻していく必要がある

③人がある特定の段階で成果を出せていない場合、その段階よりも下の段階から考える事が発達の為の道しるべとなる。

では一つずつ見ていきたい。


■①各段階の発達においては各々重要なキーファクターがある。それに対し、より直接的にアプローチできる教育コンセプト、教育カリキュラムを特定する。

上の一覧では、リーダーシップの教育において、各段階の重要なポイントとなるキーファクター及び教育コンセプト、具体的な教育カリキュラム等を列挙している。

ティール組織でも言及されているように、各段階に優劣はない。そしてインテグラル理論で言及されているように、次の発達段階へと進むためには前段階を「含んで超える」必要がある。各段階で含まれていない要素は、発達を次の段階へと健全に進む為の落とし穴になる。建物に例えれば、高層ビルを建てる時、より下層の建築がおろそかになっていると上に乗るものがぐらついてしまう、という具合だ。

また、インテグラル理論で言われている健全化とは、各段階の持つネガティブな表現のされ方(即ち含むべき前段階の要素を欠いている状態)を発見してはそれを健全化する(満たす、含む)事で次の段階へと進めると言っている。

教育コンセプトは、各段階においてリーダーが習得するべきポイントを列挙している。教育カリキュラム例はそのポイントをマスターする為に有効と考えられるものを挙げている。ティール組織及びインテグラル理論では具体的な教育カリキュラム的アプローチは、具体的に書かれていなかったので書き足してみた。恐らくそんなにずれているものではないだろうと思われる。

■②全てのリーダーは、ベージュ、マジェンダの段階を今一度徹底的に見直し、機能不全になっているところの健全性を取り戻していく必要がある。

ベージュ、マジェンダの段階は、全ての人が経験し、発達を遂げていくが、そのプロセスは総じて偶発的要因に任せてしまっているところが大きい。
特にベージュの段階は、世界に対する根本的なものの見方を形作る。世界を脅威があふれる恐ろしい世界と見るか、愛があふれる美しい世界と見るか、その根本的なパラダイムの違いはティール型リーダー育成にとって重要なキーファクターになるだけでなく、どの段階のリーダーシップにも求められる。
  
世界中の一流企業でCEOが絡む不祥事が後を絶たない。その根本的原因は往々にしてリーダーの内面におけるベージュ、マジェンダの段階における何らかの欠乏感が源となっている可能性が大きい。エグゼクティブコーチングの主要なテーマが実はパートナーシップや家族に関する事になるのは偶然ではない。その領域に充足感がないと、自分を取り巻く世界に対する欠乏感や不満として表出する。世界をリーダーがそのように見る。そうすると、レッド以上の段階において必ず様々な問題行動を引き起こす。根本的なメカニズムは、家庭不和や親族からの教育の歪みが不良青年を生み出すのと全く同じであるといえる。

ティール型リーダーだけでなく、全てのリーダーは自らのベージュ、マジェンダの段階における自らの欠乏や不満や恐れに向き合い、それを受容し、癒し、受け入れて統合する(含んで超える)プロセスを経なければならない。それはどんなスポーツ選手も各種目の固有の技術を学ぶ前に、前提となる基礎的な身体づくりが必要な事と似ている。ベージュ、マジェンダを満たしたからといってティール型リーダーになれるとは限らないが、これらの段階が不十分なままティール型リーダーになる事は絶望的だ。全てのリーダーの必要条件といえるだろう。

■③人がある特定の段階で成果を出せていない場合、その段階より下の段階から考える事が発達の為の道しるべとなる。

この仮説は、②がある程度充足している状態から開始されるという前提になる。その上で考えてみる。

例えば、あるリーダーがオレンジ型組織において成果を出せていないとする。例えば下記のような症状が出ていると仮定しよう。
(例)
・組織で成果を上げるという事が出来ない。チームで勝つという事を実践できない。
・具体的には、ルールや規則等で縛り付けて部下を拘束する。
・自らがプレイヤーとして自分だけ成果を上げる状態になっている。
・組織の階層を無視してコミュニケーションをしてしまう。
・職務と役割に縛られて柔軟な組織編制を考えることが出来ない。
・目に見えるわかりやすい成果を上げた者を優遇する。(縁の下の力持ちの貢献に配慮しない)
・部下の手柄を横取りする。
・地位に基づく特権で自分だけ得をしようとする。
・部下や後輩など、目下の人の有効な意見を封殺する。
・自組織の事だけを優先して考えてしまい、組織全体の勝利に繋がる行動が出来ない。

これはオレンジ型組織である会社等でよく見かけるリーダーの問題行動の例だが、良く観察するとこれはオレンジ段階の負の側面では「ない」。オレンジになり切れていない未成熟な状態である。レッドもしくはアンバーの色が濃く出てしまっており、オレンジの組織の前提にうまく適合できていない状態といえる。この場合、オレンジ型組織の前提となる研修や教育をやっても意味がない。レッドもしくはアンバーの段階で何らかの欠乏があるのだ。

アンバーに寄りすぎている問題行動を的確に扱うには、リーダーのレッド段階をしっかり扱ってあげる必要がある。即ち、自分自身の能力を始めとする実務遂行力や体力、知力などの個の力を引き揚げるのだ。そうするとリーダーは自分自身が「強い存在」である事を自覚する。自らの強さを自覚したリーダーは、制度やルールで部下を規制せずとも自分がいう事を聞かせられる、という自信を持てる。部下を規則で縛る必要性を感じなくなる。そうすると初めて効果性への関心を強く持てるようになる。

レッドに寄りすぎているリーダーは、ベージュもしくはマジェンダに対する何らかの痛み、傷、コンプレックス、不満等があるかもしれないと仮定してみる。そしてそこをじっくりと癒す。世界は敵ではなく味方である。自分を愛してくれ、傍に寄り添ってくれる家族やパートナーがいる。その絶対的な安心感を感じている。その状態になれば、人は「心の余裕」が生まれる。その心の余裕と強い力(個人としての能力)が充満すると、「組織のルールや規則に従っても良い」という心の余裕が出来る。すると、ルールを逸脱する問題行動が自然と少なくなる。そんな問題行動をせずとも満たされているからだ。

殆どのビジネス界のリーダーはオレンジ型組織においてリーダーシップを発揮できていない。それは自らの発達段階がオレンジに達していないからである。では、オレンジ型組織に適応し、高い成果を生み出す人がもつ負の側面とは何か?

・成果を上げられない人を切り捨てようとする
・チームに貢献しようという前向きな意欲のない人を排除する
・一生懸命頑張ろうとしない(頑張れない)人の背景を理解しようとしない
・実力で負けて排除されていく人に対する配慮をしない(負けたのだから当然だとする)
・UP or Outの原則が根強く存在し、成果の出せない人はいづらくなる

これらの症状が出ていたら、その組織はオレンジ型組織として十分機能している。「オレンジ型組織として健全な状態」といえる。この状態まで成熟した組織はリーダーの意図もしくは外部環境の変化等によってグリーンへと進む可能性が生まれる。必ずグリーンになるわけではなく、準備が整った状態だ。往々にして外部環境の変化とは、周縁化した人たちからの直接的もしくは間接的な逆襲にあう事、もしくは自らの中に周縁化したものが発露した時の矛盾との直面だ。(例:労働争議が勃発する、リーダー自身が身体を壊して働けなくなる、従業員が一斉に辞めて独立する、市場環境の変化に追従できず業績が傾く等)


次にグリーン型組織においてうまく機能していないリーダーの例を想定してみよう。

(例)
・企業理念が重要といいながら土壇場で利益重視にかじを切る判断をする
・コンプライアンス違反ぎりぎりの脱法行為を行おうとする
・従業員は家族だと言いながら、従業員に投資や支援をしない
・従業員を抱え込み、退職を裏切りのような目で見る
・メンタルヘルス対策、働き方改革、ストレスチェック、安全衛生などが形骸化する
・内部統制性制度、ISO、Pマーク等が形骸化している
・社内でいじめを行う、もしくはそれをリーダーとして容認する
・中途入社と新卒入社で壁があり、それらが放置されている
・チャレンジして失敗した従業員をフォローせず、二度目のチャンスを与えない

上記の例は明らかにグリーンのレベルに達していないリーダーがグリーンの物まねをしようとしている。いずれもオレンジもしくはアンバーへの偏りがある。この場合、オレンジに偏りがちな傾向であれば、アンバー的原点回帰が有効だ。儲けるために会社がいるのではなく、企業のミッションを果たすために会社が存在する事を改めて確認し、それを評価軸とする等である。アンバーに寄りすぎている(社内差別や階層意識が強い)場合は、マジェンダとしての家族意識とレッドとしての力の誇示(業績を上げる、勝利する)を兼ね備えたオレンジ型組織の原点に回帰する。チームで勝利するという原則を思い出す、等のアプローチが有効だろう。

では、グリーン型組織の負の側面を見てみよう。これが出ていると「グリーンとして成功した組織」といえる。

・組織に合う人、合わない人がくっきり分かれる
・外側の人達から「あれは特殊な集団だ」「一種の宗教だ」と言われる
・目指す目標に対して組織がなかなか拡大せず、規模のメリットが出せない
・方針の決定に膨大な時間を要し、話し合いのコストが異常に高い
・社長(もしくはオーナー)が絶対的なカリスマ化する
・カリスマリーダーを引き継いだ次世代リーダーがその文化の枠組みを超えられない

これらはグリーン型組織がグリーンとして正常に機能している時の裏返しの効果として生まれる。コインの裏の側面だ。

グリーンからティールへの段階の変化は、大きなパラダイムシフトを伴って起きる。即ち「充足による停滞」だ。グリーン型組織のリーダーは往々にして成功を手にする。企業規模はそもそも追及していないが、業界を代表する重要な商品やサービスを展開する企業として一目置かれ、称賛される。会社内は居心地が良く、仲間とは何でも話せる。危機が訪れてもみんなで協力していこうというムードが存在し、絶対的な安心感がある。

人はその時初めて「中と外」という概念から解放されるのではないだろうか。

ティール型リーダーとは人生において「恐れを克服した人=愛の人」なのだろうと思う。恐れの克服は唯一、「愛の充足」によってもたらされる。

ティール型リーダーの育成はその人の人生における愛の欠乏の体験をすべて充足させたときに完成するのかもしれない。


■2020.11.03追記(組織が健全に運営される方法)

組織が「健全」である事はインテグラル理論を組織論に適用する際に重要な観点である。では、組織における健全さが失われる時はどんな状態なのかを考えてみる。

結論から言えば、各階層のセンスが「混じり合っている状態」が不健全さを生む源といえる。例えばレッドな組織が悪い訳ではない。力こそが全て、というレッドな世界観に中途半端にアンバー型の組織秩序を盛り込もうとするからおかしくなる。絶対的な上下関係と組織構造に支えられるアンバー型には、レッド的暴力性も、実力があれば組織内の順序を超えて昇格できるオレンジ的結果主義も相性が悪い。オレンジ型組織は実力至上主義だからこそ機能するが、そこにアンバー的年功序列、階層秩序を残そうとすると軋轢が生まれるし、グリーン的な仲間主義を中途半端に含もうとすると縁故優遇等の歪みが生じる。

組織の状態はそれを率いるリーダーの発達段階に依存する。故に、組織の様々な歪みの源は、リーダーの発達段階が各階層をまたがっている状態から生じると言って差し支えない。インテグラル理論では繰り返し「どの階層が優れている等の上下はない」と主張している。各階層ごとの健全さこそが重要である、と説いている。ここでいう健全さとは、即ち各階層の持つ要素の純度である。シンプルで純度の高い(混合されていない)組織文化こそがそれに適合する人材を集め、組織を単一の文脈で動かしてパワフルに機能させる。

もしリーダーの発達段階が階層をまたぐ状態になっていたらどうしたら良いのか?無論、発達段階を積極的に促すべきだが、発達には長い時間がかかる。その場合、またがる下層の段階を基準として徹底するのが良いだろう。各階層の上へとまたがる精神構造は下層の構造を含む為、下層の徹底の方が圧倒的にやりやすいからだ。

組織運営をインテグラル理論の観点で見る場合は、純度に注目するべきだ、というのが現時点での仮説である。



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