#人生で一番古い記憶
人生においてもっとも古い記憶、昔の記憶とはなんだろうか。多くの人にとって、それは美化されている思い出かもしれないし、苦い体験の思い出かもしれない。
いずれにしても、その記憶を何かしらの「今」と結びつけてしまうのが、人という生き物の性なのかもしれない。 #人生で一番古い記憶 、今回の日刊notersのテーマはそんなことを考えながら、日刊noters木曜担当の三浦がお送りします。
今回、このテーマを設定したのは今年の年明けに亡くなった父方の祖父を最近よく思い出すからというのもあります。その辺りの話は新年1発目のnoteにも書きました。
最近の自分と言えば、仕事で沼にはまっていたり(これもnoteに書きました)、
日々キャッチしなければいけないボールが見えているのに、そこに落ちているのに拾うことすら出来ない無力さという弾丸に打たれながら、それでも前を向いて、やるべきことを粛々とポジティブに、時に鈍感力をもって、やり続けなければと試行錯誤しています。
もしこの現状に何も持たない僕が晒されていたら、きっと耐えられなかっただろうなぁと、逃げ出してしまっていたかもなぁと思っているのですが、今なんとかかんとかここでチャレンジし続けているのは、亡くなった祖父との #人生で一番古い記憶 も自分を支えていたりするからです。
人生が有限で勝負が必要なことは、祖父が教えてくれた
祖父は大正生まれで数え年で99歳で亡くなったのですが、自分が生まれてから物心がついた頃には、祖父はすでに自分にとって偉大なかっこいい人でした。長男だった祖父は小学校を卒業後、家庭の事情から自分だけ中学校に行かずに働き、逆に弟と妹4人を学校に通わせ、無事に卒業させたらしく、
お正月などの親族が集まる場において、いつも祖父を中心に、親族がそこにいて、皆が口々に祖父への感謝の言葉を話している、そんな風景がそこにありました。僕の人生で一番古い記憶はその祖父の膝の上に座り、祖父や親族から相当かわいがられた、期待されていたことです。(※田舎の長男の長男なんて、そういうものなのでしょうが)
戦時中も戦争に行くことなく、多くの仲間を見送り、自分は生き残り、戦後の復興の中で努力し、父をはじめ私にとって叔母にあたる娘二人をしっかり育て上げた祖父は事あるごとに私に対して、
人生は有限だからこそ、毎日継続して努力をしなければならないこと、自分は生かされていることをよく口にしていました。その話は、とても熱を帯びており、私の幼い心に火をつけるには十分でした。
ただ、この記憶自体も自分が踏ん張るための思い出という名のエネルギー源であり、どこか自分がそう思って、良い記憶として切り取って生きている部分もあるのです。
記憶とは曖昧で、曖昧ゆえに余白があり、その余白がエネルギーを生み出す。僕にとって、人生で一番古い記憶とはそういうものです。
皆さんの人生で一番古い記憶は何ですか?今宵も日刊notersにお付き合い頂き、ありがとうございました。
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