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「傷つき」と「怒り」の感情の違いは「自己卑下」か「他者卑下」にあった。

「傷つき」の裏にある欲求は人生で不要。

「怒り」の裏にある欲求は人生で超重要。

とはいえ、
自分が「傷ついている」のか「怒っている」のか、
これを区別することは難しいものです。

「傷ついた」といって怒っている人もいるし、
「怒っている」といって意気消沈している人もいます。

本当のところは、
両方混ざっていることも多いのでは
ないでしょうか。

両者を区別するには、
目の前の出来事を受けて、
「自己卑下」(相手の方に正しさの分がある)
「他者卑下」(自分の方に正しさの分がある)
どちらを強く感じたのかが
ヒントになります。

要は、
相手が正しい(自分は間違い=自己卑下)なのか
自分が正しい(相手が間違い=他者卑下)なのか
です。

自己卑下は、
誰しもエネルギーは沸かないものです。

反対に、
自分が正しいというときは、
正しさに確信があるほど行動に繋がります。

人によって、
その行動も様々で、
持って生まれた特性が大きいように感じます。

内的な行動にとどまる人もいれば、
他者をどんどん巻き込む豪快な人もいます。

そのどちらにも優劣はありません。

ここでの「正しさ」は
自分だけのもので、
客観的事実と違ってもいいのです。

客観的事実とは違う正しさに
基づいて行動すれば、
当然、外から沢山の抵抗がきます。

その抵抗に立ち向かうだけの
バイタリティーを持った人もいるし、
バイタリティーが限られているので、
客観的事実に沿った正しさにこだわる人も
います。

客観的事実に沿った正しさを大切にする人は、
「信頼」を積み上げます。

客観的事実にこだわらない正しさを大切にする人は、
「革命」をもたらします。

その人の人生、
何を大切にしていきたいか。

それが、
「怒り」の感情によく表れている
ように思います。

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