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私が神社巡りをはじめた理由③縄文時代と串呂学

今井さんの本職は建築の設計士。縄文時代の人々の暮らしにも造詣が深く、建築の専門家の観点から縄文時代の住居について考察されていました。以下、今井さんの話を概略で書きます。

縄文時代の暮らしはその後の時代よりも劣っているというのが歴史学の常識だが、とんでもない話で、縄文時代こそ人々がもっとも豊かだった。

所有という概念が人間に余計な苦しみを負わせる。土地やお金などの財産を持っていると、災害が発生した時、財産が心残りで移住したくとも簡単にはできない。縄文時代の住居の真髄は屋根を作る技術だ。家そのものは、斜面に穴を掘るだけ。そこに屋根をポンとかぶせれば、快適な家ができる。災害で家がつぶれても、人間がその屋根に押しつぶされることはない。土地を所有すると言う概念が最初からないので、どこにでも好きに移住して、また穴を掘って屋根さえ作ればそれで移住は完了する。

土地や家を所有すると言う概念が無ければ、家に入るものも家族単位ではなく、集団単位での暮らしになる。そこで知恵と知識の共有と口伝が自然な形で行われる。知恵のある老人が若いものに知識を与える。各住居が家であると同時に優れた学校でもあった。家は個人の所有物ではないので、誰かが死んだら誰かが新しく入る。そうして次の世代へと受け継いでいった。
どこにでも移住できるという事は支配する者からしたら不都合なので、後から日本に来た渡来人は所有という概念によって人々を土地に縛り付けた。所有という概念が争いを生むことにもなった。それは現代にも続いている。

私には「人の話を集中して聞き続けられない」という特性がありますが、今井さんの話は、不思議と特に意識しなくても自然に頭に入ってきました。子供の頃、親から説教されている時でさえまったく関係ないことを考えていて説教の内容を何ひとつ覚えていなかったほど集中力のコントロールが困難な私にとっては、これほど長時間、疲れも感じずに人の話を聞けたのは生まれて初めてのことでした。

石巻山の古写真

ほっとい亭に集まる人々

天狗総裁

今井さん自身は霊能者でもなんでもないが、なぜかほっとい亭では不思議な縁で、まったく見ず知らずの人々が次々に繋がっていくのだそうです。今井さんはかつて、ほっとい亭で起きる出来事を記録としてまとめて本にして自費出版していました。

ある時「天狗総裁」と名乗る人が来て、わけのわからないメッセージを残していったと言います。今井さんは意味もわからないままそのメッセージをメモに書きとめ、それも本に載せました。私もその本を見せてもらいました。茶色く色褪せていて、かなり古そうな本です。

・熊野がすべての鍵となる
・竜、牛、船、牟炉、鬼
・熊と星が結びつく

などと書かれていて、本当に意味のわからない言葉が並んでいます。その中で、今読むと意味があると思える文章がありました。

2001年9月に起きる大きな事件をきっかけに世界が変わる

これってニューヨーク同時多発テロの事?
これはさすがに私もにわかには信じられませんでした。しかし本が捏造だとも思えません。天狗総裁と名乗る人物がどこの誰なのかもわかりません。いずれにしろ、この本にはそういった予言めいたことも書かれていたために、その後、エセ霊能力者などいかがわしい人たちまでが今井さんの周囲に集まるようになってしまったんだそうです。それで今井さんは「この本は世に出すべきではない」と思い、1巻と2巻を本屋からすべて引き上げたとのことです。私に見せてくれた本は、現存する貴重な一冊だと思います。

そして、2011年に起きたのが東日本大震災。今井さんは原発などについていろいろ考え、このままでは日本という国が滅ぶと再び考えをあらためて、また本を書く事にしたそうです。そうして出来たのが3巻。

今井さんはその3巻を、話を聞いてくれたお礼と言って私に無料で譲ってくれました。3巻には、ここ数年間のほっとい亭での人々との交流記録と、彼らが残していったメッセージについての今井さん独自の串呂学的解釈などが書かれていました。

頂いた本の中の1ページ

白檀の原木

ほっとい亭には、意図せず「本物」が自然に集まってくると今井さんは言います。香りの正体が本物の白檀だと聞いた時、私は失礼ながら「なぜこのような田舎の一料理屋が、貴重で高価な本物の白檀をお香として使えるのだろう?」と不思議に思いました。その疑問の答えも今井さんがくれた本に書かれていました。

今井さんは木の彫り物を作ることも得意としています。ある時、外国航路の航海士をしていた友人が小さな白檀の塊をお土産に持ってきたそうです。今井さんがそれをナイフで削りながら香りを楽しんでいると、お客さんの一人が「お香に興味をお持ちのようですが、白檀の原木を見たことはありますか?」と尋ねてきた。
数日後、その人から大きな白檀の原木が今井さんのもとに届けられました。その人は白檀で筆を作ることが夢で、原木はそのために昔インドから輸入した数本のうちの1本でした。そして「この白檀の原木で石巻の神様を彫って欲しい」と言うのだそうです。

今井さんは貴重な白檀を彫るほどの技術は無いからと断ったものの「中がどうなっているか見たいから切ってほしい」というお客さんの願いで切って見ると、大黒様が打ち出の小槌を持っているように見えたと言います。原木を返そうとすると、その人は「これもなにかの縁なので、石巻山のために活かしてください」と置いていったそうです。それ以来の縁で、貴重な白檀の原木を頂けるようになったということです。

現在、日本のお店で売っているほとんどの白檀は、化学合成した香料を混ぜたまがいもの。だから本物の白檀の香りを知っている人は少ない、と今井さんは言います。

自然薯の山

ほっとい亭の料理に使われる自然薯についても同様のエピソードがあります。近くに天然の自然薯が育つ1800坪の山を持っていたご老人が「石巻のために」とその土地を今井さんに譲ってくれたんだそうです。つい羨ましいと思ってしまう話ですが、縄文時代はこれが当たり前だったそうです。縄文時代は所有という概念が無く、土地もそこで採れるものもすべて地球からの恵みのもの、借りているもの。自分が管理できなくなったら他の人に譲る。それが本来の人間のあり方として自然なことで、今の時代が不自然なのだと今井さんは言います。

結局この日、食事を終えてから二時間半も今井さんと話し込んでしまいました。と言っても私は自分の考えを音声で言葉にするのも苦手なので、ほとんど聞き手専門でしたが。おなかも心もいっぱいに満たされたので、予定していた他の三河探索はすべて中止してそのまま帰宅しました。

串呂学とレイライン

今井さんが言う串呂学とはそもそもどのような理由で生み出されたのか、と言う点に私は興味を持ちました。現代人からすると「すでに存在する地理上のポイントを繋げる」という行為になるわけですが、本来は逆で「信仰に関係する重要構造物を作る際にどこに作るべきか」を伝えるのが串呂学だったのではないか…とも思います。レイラインという概念とも通じるものがありますね。

私が大神神社から線をつなげてこの場所へたどり着いたこととも関係していそうで、その点から言っても不思議な縁を感じました。

と同時に、串呂学やレイラインについて調べる際には意識が介在しないように注意する必要がありそうだとも思いました。「こことここが繋がっていって欲しいな」という意識が邪魔をして、意味も無い線を描いてしまうことがないように。

疑い深い私は、串呂学についての今井さんの話や、本に書かれていた調査結果も盲目的には信じ込まず、自分の頭と感性を頼りにゼロから考察してみることにしました。④に続く。


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