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映画「とら男」鑑賞記(金沢スイミングインストラクター殺人事件番外編)
※注意:ネタバレ含む内容となっております
事件はまだ生きている
当事件を題材とした「とら男」(村山和也監督作品)の公開を二日後に控えた8月4日公開直前のトークライブに村山和也監督そしてとら男こと西村虎男氏にご招待いただき、ゲストとして参加という実に貴重な時間を過ごさせて戴いた。その中で石川での事件について話が及んだときに、被害者の安實千穂さんと同じ松任市(現白山市)のご出身でもある村山監督から「子供のころ野球をして遊んでいたところでおきたのがまさしくこの事件だった」ので「ほかのどの事件より思い入れは深い」と伺った。前日のトークでも「教場も解体され」「現場も今では駐車場」ときき、当noteでも取り扱った豊田女子高生強殺事件も同じく、現場はヤマト運輸の中部ゲートとカネスエの物流センターに姿を変え、更にトヨタ紡績の本社移転も決まりいよいよ当時の面影がほぼ姿を消してしまうことになっている。実際、現場付近にあった民家も次々と立ち退き更地となり、田畑は只の荒れ地となってもうすぐその辺一帯が新社屋や公園などになることも決まっている訳で、実際工事予告のものだろうか看板もあちこちに立ち始めた。今やそこが現場であったことを示す石碑だけが哀しく遺されているのみ。それを思い出したら又胸が締め付けられるような気持ちになった。
どこもそうなのかもしれない
曰くつきの土地になったのだから、土地収用とまではいかずとも事業者をどんどん誘致して事件の記憶と共にさっさとそこから消し去りたいという考えも一方であることも致し方のないことかもしれないし、また受け入れるしかないのだが、結果としてそれは犯人にとって好都合という他ない。それによって避けられないのが風化であるが、まさしくその事件の風化と最前線で戦ってこられたのがとら男こと西村虎男元石川県警警部である。
金沢久安独身男性殺人事件の記事でもとら男氏のご遺族への思いを引用させていただいたが、初動捜査での躓きがその後を左右し、とら男氏の刑事人生40余年においてこの事件だけを未解決に終わらせてしまった無念。そこに県警捜査本部の捜査ミスの責を引き受けた尻拭い捜査の過程で幾つものミスを指摘するも肝心なところで担当を外され、その上に被害者である安實千穂さんとそのご遺族の無念と世間による無責任な噂の火消しまでをも一身に背負いこむことにした―ある意味不器用で実直な「昭和という時代を生きた男」の落とし前のつけかたという覚悟の結果が
「千穂ちゃん ごめん!」という一冊の本になった。
そしてその一冊が村山監督の目にとまり、覚悟の結晶が「とら男」となるのだが、「何故、この事件を映像化するのか」その経緯は舞台挨拶でも監督自身の口から語られたように
「小学生の頃って毎日がたのしくて幸せだったじゃないですか その頃の記憶には爺ちゃんも婆ちゃんもみんないるんです いってみれば人生で一番幸福なとき そのころに起きた事件 しかも僕らの遊び場だったところで それだけに僕にとって衝撃的なできごとだった」
その思いを抱いたまま成長し、映像の世界を志した青年は海を渡り、やがて製作者としてその地位を確立したとき、あの「身近で起きた殺人事件」がなんであったかを知るために「千穂ちゃん ごめん!」を読み、幾つもの疑問が首をもたげてきたとき故郷にいる「とら男」という男に会いに行くことにした。
これには当事件における責任と無念を背負いまくった西村虎男と故郷へのというより当事件への「特別な思い」を映像に篭めることで、何かを考える或いは変えるきっかけになればという村山和也。このふたりの男の邂逅によってしか生まれることはなかったし、このふたりに託された覚悟の大仕事であることは言うまでもないだろう。
被害者の死を決して無駄死ににはさせないという強い思いこそなにかを変える原動力になりうる。微力ながら私もその為に書き続けているのである。そして書き続けてきた結果、その拙文が偶然とら男氏の目にとまることになった
この事件は私にとっても原点であるといって差し支えない。やがて現場に足を運ぶようになり、捜査方法含め必要な知識を得るために法学部に入りなおした。更にこの事件を題材とした記事を元に映像にして頂いただけでなく拙noteをもご紹介頂けた。その結果、私の拙文を読んでくださったとら男氏から事件に対する姿勢を評価して頂けたのは何よりも嬉しいことであった。
人の縁というものは不思議なものである。だが、これがもし誰かの導きによるものであるならば、思いのすべてをこの文章に篭めたいと心からそう思った次第。
死せる孔明生ける仲達を走らすではないが、
この事件は確かに今も生きている。
そう感じた。
覚悟の金沢行き
そのトークライブ中にとら男の「相棒」であるところの「かや子」役の加藤才紀子さんに「神宮前さんはどこの劇場に来られるんですか?」と訊かれ、村山監督も興味津々のご様子…実は所用で8月下旬には関西に2週間程度滞在することは決まっていたわけで、だとすれば京都出町座か大阪シネ・ヌーヴォで良い様な気もする。只、これはとら男氏にも以前から話していたのだが、私はまだ金沢の現場に足を運んでおらず現場写真のひとつも撮影していない。そういう意味で現場主義を謳っている以上、これでは看板に偽りありで実に後ろめたい。実際、Googleを介して感じる距離感等には限界を感じていて実際に体感するに優るものはないのである。さらに言えば、とら男氏に姿勢を褒めて頂きもしたがそれと同時に「何か足りないものに気づけばもっと良い記事が書けるはず」と叱咤激励を受けているような気もしていたのである。
「金沢にいこう」
そう決めてシネモンドと宿に予約を入れた。甲府までは下道を行き、松本まで高速をつかい再び下道で高山方向を目指す。この先どうなるか見当もつかないので念には念をいれて給油も済ませ、コンビニで休憩をとったが正解だった。奥飛騨から富山に入るルートを選んだのだが、その間ガソリンスタンドはおろかコンビニ1軒とてない山道を抜けることとなった。正直、これはキツかったし、足首もむくんだ。結局、金沢到着は朝の5時、横浜を発っておよそ7時間が経過していた。いよいよ私は当地に足を踏み入れた。
まずは頼んでいた荷物を受け取ると内灘町を目指す。
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そして私はとら男とかや子が再捜査のスタートを切る喫茶「キャビン」の前に立った。
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この時点で私は映画の内容もほとんど知らずにいた。とら男氏の著作である「田舎爺がベスト男優賞?」
のネタバレと思しき部分は極力目に入らないようにしてきたのであるが、かろうじて「キャビン」で撮影が行われたという事実だけは頭に入っていて、それを基にここまで来たのであったのだが…今思えば、スタートというか船出には最適の場所である。
まずは村山監督ととら男さんに到着報告をし、Twitterにも画像をあげてみた。
生きた化石
そのキャビンで朝飯を済ませ、次は太陽が丘のセコイア通りを目指すことにした。作中「生きた化石」であるところのメタセコイヤが縁で化石の様な事件が再び動き出す。事件当時、現場の果樹実証園も高さ数メートルのメタセコイヤに周囲を囲まれていたときくが、それももうない。借景という言葉があるがここはその為に選ばれたといってよい。件のトークライブでセコイヤ通りでの撮影について他県ナンバーの車両が撮影の為に何往復もしている様は傍からみてさぞ怪しかったろうという話題になったのだが、その他県ナンバーである。
当方法学部の現役学生でもある。なので難癖をつけられ職質でもされたときには、巷で噂の法的根拠を突いてやろうかと作戦を練る「セコイアを見にきただけだが、それがなにか不法行為にあたるのかね?」と呪文のように何度も心の中で唱えていたが、結局面倒に巻き込まれずに済んだ。
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「とら男」ではかや子も大学生だが現実世界でも「生きた化石」を見に年齢不詳の大学生がやってきたのである。
これも何かの縁か只の偶然か。
作中、ここはとら男とかや子のファーストコンタクトの地として選ばれていて心に何かを引きずったまま車を走らせるとら男と憧れの地に漸く辿り着き夢見心地の中、運転席のとら男の寂しげな表情に目をやるかや子との邂逅ともいえるシーンで実に印象に残る映像となっていた。
そして、私は教場の跡地と遺体発見現場でもある職員駐車場に足を運んだ。
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「始まり」と「終わり」の地を前後して訪ねることになったが、教場跡は更地になり向日葵が風に揺れていた。なんだか物悲しい。宿のチェックインは15時の予定、そろそろである。名残惜しいがそこをあとにすることにした。
宿に到着し、ベッドに倒れこんだ後4時間ほどの記憶がない。
閉館時間まであと少しだ。慌ててシネモンドに駆け込んだ。ここはやはり前売券でチケットを受け取っておきたい。
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折角だからと夜の金沢の街を歩いてみたのだが疲れのせいか、どうも食欲がわかない。寧ろ、早く部屋に戻りたいという気持ちが勝つ。その日、菊一(とら男作中にも登場する金沢おでんの名店)は空きはあったが、外から眺めるにとどまった。
24時間後、私はこの判断を悔やむことになる。
部屋に帰るとまた5時間ほど記憶を失い、その後久安の事件含め現場を見にいったり、移動時間の検証作業等の為4時間ほど金沢の夜の街を車で飛ばした。
漸く食べ物を受け付ける体になったので、
金沢といえばの「8番ラーメン」で一番シンプルな醤油ラーメンを頼んだ。
仄かに豚骨が顔を覗かせるスープは私好みだった。
腹が膨れたせいかその日はよく眠れたが、味噌を頼むのが本筋であったらしい。後悔先に立たず。
「とら男」を見届けにいく
いよいよ金沢での公開初日、シネモンド前には人が溢れていた。
みると隅のほうにとら男さん「壁の花」という言葉があるがまさにそんな感じ、だがあちこちから声をかけられてそれに対応。
そのままとはいかないようである。
劇場関係者から「初回は満員、札止め」と発表され、あちこちから落胆の声が漏れる。予約しておいて正解であった。入場開始、パンフレットを二部購入し席を探す。
なんととら男氏の奥様とご子息の横の席であった。
当方、村山監督のtweetを目にして、予約したのであって狙ったわけではないしとら男さん枠でのものでもない。偶然もここまで重なれば必然である。
ここでもやはり人の縁というものの不思議さを改めて知る思い。
竹内まりやの天使のため息の歌詞じゃないが、
出会いも 別れも 最初に決まっている のか。
やっぱりなんかあるに違いない。
いよいよ「とら男」本編が始まった。
全体的に仄暗いトーンの映像で、ストーリーも冬の仄暗い空の下で展開される。鉛色のこの空をみて育った村山監督ならではの美意識かと理解するが、未解決事件を扱ったのだからこの色が似合う。
とら男登場シーンが秀逸。顔を洗うのは後に重要人物のそれと対をなしていたり、洒落男だが、男やもめの設定だから
カレーを箸で食う無頓着
演出が一々凝っていて痺れる。冬だからおでん屋での出会い。「カニ面」というのも実はとら男のことかな?と邪推してみる。みた目はいかついが、味は確かこれは考えすぎ。
そのおでん屋でメタセコイヤを介しての絆が生まれる。
いわば「生」と「生きた化石」の出会いそして全ての始まり。
私の分身
かや子は今風の同級生に囲まれているのだが我関せず。
その我が道を貫く図太さが魅力。「メタセコイヤ」を題材に卒論を書こうとして教授に頭を抱えられるのだがそれでも我が道を行く。
「互生(葉が左右非対称)」についての講義でひとりうっとりする。エキセントリックである。
そしてノートのあちこちに落書き。余談だがこの加藤さんの絵心というかイラストの才は本作のあちこちで発揮される。特にとら男氏の似顔絵に至っては誰もがそっくりと感心する。
加藤さんも異能のひとである。
「そういえば、俺も落書きだらけだったな…」と少し親近感。
だけでなく、この思い立ったら、どこにでもいき自分の目で全てをみてやろうという行動力の塊というべき冒険心は俺そのものだなと思い始めていた。
豊田の事件を調べ始め、これは現地に行かねばわからないことがいっぱいあると思い。関東と関西を移動する際に何度も現場に立ち寄った。そんな私だからかや子と同じく金沢まで行ってしまうのである。因みにかや子は東京で
私はお隣の神奈川。
そして作中のとら男とかや子が目撃情報を元に移動経路含め検証してみるシーンは2007年度の航空写真から被害者の登下校ルートを推察する為に
刈谷と豊田を何往復もして一番合理的なものを導き出した作業と重なった。
極めつきは聴きこみに行き詰ったかや子が困難を乗り越えていくプロセスで、私が現地の方々に事件について訊ねてまわった姿とまるっきりシンクロするものだった。
「あの娘が可哀そうで仕方ないから犯人が捕まる様に頑張ってくれ」
と実際に私も言われ、目頭が熱くなったことがあった。
だからかや子が泣く夕暮れのシーンはもらい泣きした。
そのピュアさが南一恵さん演じる元同僚の心を動かすシーンも胸が熱くなった。いつの間にか「かや子は俺の分身だ」と思うようになった。
このエピソードは鑑賞記を公開するまで寝かせておこうと思っていたのだが、先日村山監督のアフタートークで
「神宮前さんはかや子を自分の分身だとまでいってくれている」
とご紹介を受けて、これはもうお礼を兼ねてここで先にお伝えすべきだろうと思い、打ち明け話をさせて頂いた。監督にお礼も伝えられたし、加藤さんのいる場でそれを話し思いを伝えられたので後悔どころか、心の底から本当によかったと思っていることをご報告させて頂く。
コーチ
そもそもの話をする。
小学生の頃、金槌を克服するためスイミングクラブに入れられた。
要は浮くということが解るまでが勝負なのであって、そこからの上達は早かった。気がつけば大会にまで出場することもあった。
恩師というべき女性コーチがそこにいた。
指導は厳しかったが反面、一杯褒めてくれた。
褒めてくれる相手がいるからやる気も出た。
いつしか憧れの様な気持ちを抱いていた。初恋の相手だと思う。
体を壊して指導ができなくなり事務方にまわることになったが、
それでも帰りがけには必ずコーチを訪ねた
「早く良くなって又教えてほしい」
なんていっていたのだがとうとう別れの日がきた。
その日は昇級試験だった。
安心させたいというか笑顔で送り出したかった。焦りと重圧からスタートに失敗して落ちた。悔しいやら恥ずかしいやら自分自身に腹が立って涙が止まらず、母親に促されてコーチの前にいくも「ごめんなさい」というのが精いっぱいだった。「頑張ったからそれでいいよ」とコーチに抱きしめられた。
彼女も泣いていた。
翌月、難なく昇級試験にパスしたが嬉しくなかった。
報告する相手はもうそこにいなかったからだ。
私と同じ様な思いをした教え子が千穂さんにもいたのだろうか
作中で緒方彩乃さん演じる千穂さんが慌ただしく身支度をすませ退勤する姿、そのあと何が起こるかわかっているから余計切なかった。
その後、コーチとは手紙で何度かやりとりをしたがやがて途絶えた。元気で暮らしておられるだろうか
今思うと、コーチの苗字は豊田の被害者のものと同じであった。
そんな過去があるから、スイミングコーチという響きに導かれるようにこの事件に引き込まれたのかもしれない。
未解決事件という魔物
話がそれた。
作中のとら男の言葉に嘘はない。とtweetしたことがあったが、
実際、最初はとら男さんは撮影と気づかず、加藤さんに喋っている心算で
事件について説明をしていてそれがそのまま絵になっているのだから説得力が違う。その普段のままのとら男さんを活かす為、かや子としてナチュラルな演技を心がけた加藤さんもやっぱり異能のひとなのである。
感想も十人十色であるから、これは私だけのものかもしれないが、
そのナチュラルな芝居が嘘くさくなくて実にリアルだと感銘を受けた。
作品の中のかや子も「化石になりかけた」というか「伝説になりかけた」
虎を再び野に放つ役目を果たし日常へと帰っていった。
犯人を知っていたのかというかや子の問いに「そうだよ」と平然と答えたのも実はこれ以上かや子を事件に巻き込みたくないというとら男の親心の様な気持ちがそうさせたのかもしれないと感じた。
化石も転ずれば「石化」であり、ゴーゴンじゃないが魔女に魅入られたか如く深入りすれば自らも化石になるのが未解決事件の魔力であり、魅力である。
かや子は自分なりに決着をつけて日常に戻れた。
だからとら男も「終わらせる」為にそこに行き、そして日常へと戻っていったのだろう。囲み取材のときだったか、舞台挨拶だったのか記憶が定かではないのだが、作品中未解決事件における倫理と時効との狭間で揺れる真実について重要な役目を果たすキーマンであるところの
石川県立大助教授である中谷内先生が仰ったのは
「犯人は自白するしかこの事件を終わらせることはできないのであって、その機会を失ったんだぞお前はとも思うが、終わりにできないが故にさぞ辛かろうなと」
果たしてその言葉は届いたのだろうか
あのとき同じ劇場内にそいつもいたのだろうか。
舞台挨拶終了と共に警報音が一斉に鳴り響いた災害レベルの豪雨だったこと含め不謹慎かもしれないが、敢えて書かせてほしい。
私には千穂さんの涙の様に思えた。
終章
ラストシーンは本当に良かった。
敢えて種明かしはしない。是非ご自分の目で見届けてほしい。
とら男が落とし前をつけるとしたらこれ以上の選択肢はない
大変なものを観てしまった。匕首を喉首に押し付けられるような作品。
男がまだ生きているのならば生きた心地はしまい。
とら男もまだ生きている。
そして我々も目撃者のひとりになったのである。
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豊田の記事の結びに「全てのひとの心にかや子が宿ってほしい」と書いた。
それはつまり、これを機会に未解決事件というものが如何にして起きたか
という問題について考え、わからないことがあれば調べ、必要ならば
誰かの声を聴きにいき、それを伝え、遺してくれたらと願うからだ。
そしてそれぞれ終わりに辿り着いてほしい。
舞台挨拶後のサイン会で村山監督の耳元で「神宮前です」と囁いた
そして「感想はかや子は僕の分身だった。それに尽きます」と伝えた
「どうもかや子の怒り出すシーンの意図がうまく伝わらず、
ちょっと落ち込んでたので嬉しいです。実はかや子は僕の分身なんです」
「そのかや子を神宮前さんがそう思ってくれたのなら、多分
僕と神宮前さんも分身同士なんです。これからもよろしくお願いします」
嬉しい言葉だった。
村山監督もかや子もそして私も「とら男」に会いにいき、
この事件についてそれぞれが落とし前をつけて前へと進みだしていく
翌日、昨日の雨が嘘の様な快晴。
私は千穂さんと村山監督の故郷である白山市(旧松任市)で仏花を買い、
コンビニで線香は置いていないのですかと尋ねたら
「墓参セット」なるものしかないといわれそれと天然水を購入した。
そして千穂さんの眠る安實家の墓所を訪れ、仏花から色鮮やかな花を
二輪選び、それを供え残りはおそらくその為に用意されただろう桶に
入れ、線香に火を点けた。
![](https://assets.st-note.com/img/1663019259138-DSo5fTDGei.jpg?width=1200)
合掌して心の中で千穂さんに語りかけた。
「貴女の死を無駄にしない為にも、これからも生命ある限り、真実を
追い求めそして書き続けていきます。とら男さんを村山監督をそして
私をどうか見守ってください」と
すると不思議なことが起きた。カルトだのなんだのあらぬ批判を
受けそうなので、それが何だったのかはここでは書かないが
それにしても不思議なことが一杯あった…この事件と関わってから。
一応のけじめを千穂さんの墓参というかたちでつけた心算であるが
未解決事件としてこの事件を追いかけているのだから、
これで終わりということはことはないし、新たな知見もできた。
私もまだ生きている。
そして本作について「問題作」とみる向きは多いが
そこを敢えて「意欲作」とは考えられないものか、
光を照らすべきはなにかを本作は教えてくれる。
あとがき
墓参を終えた後、どっと旅の疲れが出て、グリンパークの駐車場で
4時間ほど記憶がなくなった。するとまた犯行時刻辺りで目が覚め、
現場~職員駐車場への動画を同時間帯に撮影できたりする。
偶然と片づけたいし、私の事件への或いは「とら男」への思いが
強すぎるだけなのだろう。そうも思う。
囲み取材後の中谷内先生のお話は中々衝撃的だったが、
それは現在同時執筆中の「事件編」のほうでご紹介したい。
中谷内先生の作中の発言は実に重要なのであって
この作品の「肝」の部分であることは間違いない。
要は「終わらせたい」ひとたちがいれば
「掘り返す」ひとたちもいるわけでそのせめぎあいも
本作の見どころであるといってもよい。
私自身も現地取材なしの記事は魂入れずで心苦しかった
それを白状できたのだから、これで終わりではないが
ひとつの節目とすることが「漸く」できそうではある。
村山監督も私も「千穂ちゃん ごめん!」がきっかけで
とら男さんに会いに行き、映像と文章という違いはあれど、
「これをそのままという訳にはいかない」という
結論に辿り着いたことも共通の思いであって又
「多分、似た者同士なんでしょう」ということで落ち着いた。
かや子もきっとそうだったからああなったのだろう。
この事件について考える機会があったら、是非ひとつの
結論にたどり着くまで手を尽くしてほしい。
出来る限りで構わない。そして別の事件に対しても
興味をもったらその作業を繰り返す。
ひとりひとりが動き出せば、いつか変わる。
その為のとら男と村山和也の覚悟の結晶が「とら男」
という作品なのであり、その意気に感じるものがあれば
そこがあなたの「キャビン(船室)」となるのである。
![](https://assets.st-note.com/img/1663019334596-uut9cplvnx.jpg?width=1200)
大海原へと一歩を踏み出そう。
「捜査十箇条」がその羅針盤となるから
真実を求める船旅は今始まったばかり
事件も男もまだ生きている。
追記
その後、横浜のシネマリンでの千秋楽の日「とら男」を見届ける為に伊勢佐木町に足を運んだ。余談だが、筆名の由来である探偵神宮寺三郎シリーズの二作目は「横浜港連続殺人事件」には「伊勢崎」警部が協力者として登場する。初期の作品では登場人物名が地名を由来としたものであったり、探偵修行に渡米する際、横浜からの船旅でニューヨークに渡ったという設定だったりするのだが、かの地は村山監督の留学先でもある。そう考えると人の縁というものはやはり面白い。とら男さんと村山監督のコンビもどことなく熊野警部と神宮寺の名コンビの姿に重なったりもする。
再捜査をするのとほぼ同じプロセスで撮影されたのであるから、実際に「神宮寺三郎」として動いたのは村山監督であると定義してまず間違いはない。神宮寺も可能な限り足で情報を稼ぎ、必要ならば熊野警部から捜査情報の提供を受けることで事件を解決に導いてゆく。これと全く同じ作業をへて「とら男」という作品が生まれた。作中において神宮寺として動いたのは監督の分身であるかや子ではあるが、画面の向こうのプレイヤーであり同時に配信者として作品を提供したのは監督と考えれば、さしずめ我々はリスナーとしてそのプロセスを共有したのかもしれない。そういう見方もアリだとは思う。データイースト倒産以降の神宮寺は別物になってしまったが、「とら男」とコラボし「金沢スイミングコーチ殺人事件」をモチーフにした骨太のストーリーを展開すれば新たなファンを獲得できるかもしれないし、それによってこの事件の本質がより世間に認知されることにもつながるのではと割と真面目にそう思う。だから「現実の未解決事件をモチーフにした作品」はもっと増えていいし、それによってそれぞれの事件の本質がもっと世間に認知されてほしいと心から願う。とら男は本質に拘った作品だからこそもっと評価されるべき作品だ。本質に拘るからこそ虚飾も過剰な演出も必要としない。真っ直ぐ向き合うとはそういうことだ。
繰り返すが、当事件は未解決事件としては考察材料が揃った稀なケースであり、私も「未解決事件にどうして興味をもたれたのですか?」と尋ねられたときには必ずこの「金沢スイミングコーチ殺人事件」が興味をもつきっかけとなった事件であり同時に事件考察における教科書でもあるとその名を挙げてきた。
理由として
①確度の高い捜査情報が公開されている(千穂ちゃん ごめん!)
②犯人は被害者に運転を任される関係にある
③犯人の性別・血液型は判明している
④凶器・殺害現場も特定されている
ここからあとは
a.犯人は何故、職員駐車場へ遺体をのせたまま職員駐車場に戻ったのか
b.以上から推測される犯人像
というプロセスを踏まえ
c.これだけの素材があるにも関わらず何故未解決に終わったのか
という結論に辿り着けるという、いわば思考や推論のお手本のような事件であると考えているからだ。
この事件だけはどうかこれで終わることなく、この作品に触れたすべてのひとが語り継いでほしい。「未解決事件なんてあったらいかん」という台詞は
改めて心に沁みた。「向き合えば なにかが変わるかもしれない」というかや子の台詞には何度も心を撃ち抜かれる。なにも未解決事件に限ったはなしではない、すべてに対してこれからもそうありたいと心に誓った。
千穂さんのご遺族の心境にも変化があらわれた。評判をききつけ劇場に足を運んだ結果「名乗り出て謝って欲しい」と仰っていると聞く、今からでもできることはきっとある。そしてこの事件と作品を語り継ぐことで希望の灯は決して消えることはない。
フランス最大の日本映画祭・KINOTAYO (キノタヨ)映画祭にて「とら男」は審査員賞に輝いた。
![](https://assets.st-note.com/img/1680246802101-CPeorjs2gA.png?width=1200)
素晴らしい
まっすぐにむきあえば、なにかを変えられる
いつかその日が