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マチュピチュ旅行記(中編)

【4日目】


 この日の最大の目的は、「マラスの塩田」というアンデス山脈の麓にある段差状の塩田を見に行くことだった。

 一般的にマラスの塩田には、周辺の「モライ遺跡」などとセットでツアーを組んで訪れるのが定番となっていた。

 ただ、ツアーだと時間とお金が余分にかかるし、後日マチュピチュに行くことを考えれば別の遺跡を観光するモチベーションもあまり無い。何よりも、のどかなモンゴルの草原でツアーガイドに起業を勧められまくるという強烈な体験をしたことがある私は、若干、ツアーに対してトラウマのようなものを抱えていた。


 以上の理由から私たちは、「もう自力で行っちゃお★」という結論に至った。こういう人間が山で遭難とかするのである。

 ネットで調べてみると、たった一つだけ、「マラスの塩田にツアーを使わずに行く方法」という趣旨のブログが見つかった。以下にリンクを載せておくが、この記事には本当に助けられた。これがなければ間違いなく私たちは塩田に辿り着けなかっただろう。

https://my-last-adventure.com/around-the-world/2021/10/07/26267/

 クスコ市内で「サント・ドミンゴ教会」や「クスコ大聖堂」を軽く回った後、「コレクティーボ」という乗り合いバスで「ウルバンバ」という街に向かう。その後、ウルバンバでタクシーを拾って「ピチンゴト」という小さな村に行き、そこから徒歩でマラスへ向かう、という計画だった。……自分でも書いてて若干混乱した。この時点ですでに、人間の脳が一日に摂取できるカタカナの量を軽くオーバーしている。


 まずはクスコ郊外のバス停に向かう。中心部の石畳の道路はやがてゴミだらけの荒いアスファルトに変貌し、街並みも割とローカルな雰囲気に様変わりを見せた。30分ほどでバス停に到着し、「ウルバンバ♪ウルバンバ♪」と陽気な勧誘をしてくるコレクティーボに乗る。

 コレクティーボは席が全て埋まってから出発する乗り合いバスであったため、集客具合によっては永遠に出発できないという厄介な特徴がある。そのため運転手や添乗員だけでなく、出発を早めたい乗客までもが「ウルバンバ♪ウルバンバ♪」と道ゆく人に勧誘を行っていた。「客が客引きになる」という、「ミイラ取りがミイラになる」の逆パターンを、私は人生で初めて目の当たりにした。

 10個ほどあった席は30分ほどで全て埋まり、山道を小一時間進んでウルバンバに到着した。ちなみに、山道から見下ろした時の、レンガのオレンジで統一されたクスコの街並みはとても美しかった。

 ウルバンバは神聖な谷の中心にあるという風評通り、のどかで空気の澄んだ田舎町、といった印象だった。人口密度も交通量もクスコに比べて少なく、町全体に落ち着いた静けさが漂っている。300円ほど支払ってバスを降り、タクシーを探す。

ウルバンバ、のどかな田舎町


 と、そこで明らかに異様な乗り物を見つけた。トゥクトゥク?のようなそれは、従来のトゥクトゥクとは異なり、後部座席がほとんど密閉されており、窓のない観覧車みたいな形状をしていた。中から外の景色がほとんど見えないため、一度乗ってしまえばどこに連れて行かれるかわかったもんじゃない。でも……乗ってみたい!!

異形の乗り物


 何も背負うものがなく、時間だけを持て余した最強の身分・大学生でなければおよそ考えられない選択をした私たちは、吸い込まれるようにトゥクトゥクに引き寄せられていった。コレクティーボの半分くらいの移動なのに、料金は先ほどの3倍くらいした。英語の通じないドライバーに、マラスの塩田の写真をしつこいほど見せて行き先を確認すると、いよいよ車というよりトロッコみたいな形状のそれに乗り込む。

 わずか15分ほどの移動で、私はこれまでないほど海外を感じた。

 穴だらけの道路とドライバーの荒い運転。乗馬でもしているかのように揺れる車内。前方からの全く聞き取れないスペイン語。三輪車くらいの速度でしか進まない私たちに痺れを切らした周りの車たちのスリリングな追い越し。

 そうだ!これを待っていたんだ!ただ移動しているだけなのに、まるでアトラクションに乗っているみたいで本当に楽しかった。この時の衝撃を、私は永遠に忘れないだろう。

 村の入り口となる吊り橋の手前まで乗せてもらい、そこからは自分たちで歩いてピチンゴトに到着した。

 ピチンゴトはマインクラフトに登場する村をリアルで再現したみたいな、塩田で働く人のためだけに作られた本当に小さな村だった。数軒のくたびれた家屋と野晒しで塩を売っている売店を通り過ぎ、30分ほど山を登ると、いよいよマラスの塩田に到着した。……今スルーしそうになったけど、ただの大学生に標高3,000メートルで登山させないでくれ。寿命縮むから。

エメラルド交易で塩が手に入りそうな村
奥の山を登っていく。
ローカルな塩の売店



 鮮やかな白で構成された塩の棚田は、合計4時間ほどの過酷な移動のご褒美に相応しい絶景だった。ペルーに行った時には、ぜひマチュピチュに並んで訪れておきたいスポットと言って間違いない。

マラスの塩田
在りし日のアンミカはこの光景を見て
白が一色ではないことを発見した。


 観光バスの停留所やエントランスゲートがある通常ルートではなく、労働者用の村を抜け、斥候のように裏山を超えて侵入してきた私たちは、ツアーで訪れた観光客よりも多くの塩田を拝むことができた。自力での旅を選択したご褒美かもしれない。私たちはたまたま職員に捕まったが、このルートを使えば、基本的に入場料を払わなくても塩田に入れるはずである。


 その後、展望デッキに行って塩田の写真を撮ったり、お土産やを見て回ったりしてから、元来たルートでクスコに戻った。


 夕方くらいにホテルに戻った私たちは、本日二つ目の目標に取り掛かった。「アルパカのステーキを食べる」ことである。……え〜あの可愛い動物食べちゃうの?信じられな〜い!と思うかもしれないが、高山地帯で生活するペルー人は割とカジュアルにアルパカを食べるのである。

 これは流石に体験しなくては、と使命感に駆られた私たちは、「インカグリル」という有名なステーキ屋に向かった。アルマス広場を一望できる、観光客に人気なレストランである。

 なんと6,000円くらいしたアルパカステーキは、付け合わせのトウモロコシのペーストを含めて正直微妙な味だった。全体的に硬く、もっさりとしているのである。タコス、ピザ、コカティー、そしてアルパカ。これだけ色々なものを飲み食いして一つも「美味しい♪」という感想が出てこない私は、どこか人間として欠落しているのではないかとさえ思ったほどだ。

アルパカステーキ(🦙→🥩)


 その後、私たちはクスコに行けばぜひ体験するべきだというマッサージに行ってみることにした。

 キャッチについて行っては料金を確認しては、「ちょっと用事済ませてから戻ってくるわ!」という約束を遺して逃走するという非倫理的行為を数回繰り返し、ようやくリーズナブルなマッサージ屋に入ることができた。

 マッサージというものをほとんど体験したことがない私は、あまり楽しみ方が分からなかった。あのマッサージ師が上手だったかどうか判断できないが、個人的にはくすぐったすぎて、リラックスするどころかひたすら笑いを堪えるために腹筋を酷使する苦行でしかなかった。

 値の張るステーキが美味しくなかったり、マッサージでリラックスできなくても、不思議とクスコの街を歩いていると嫌な気持ちにはならないものである。それに、明日からはマチュピチュである。私は期待を胸にホテルに戻り、ぐっすりと眠った。



【5日目】


 いよいよ本日から2日間はマチュピチュデーである。クスコのホテルは1週間継続して予約していたため、クスコから一泊二日でマチュピチュに旅行に行く形となった。

 早起きして昨日と同じクスコ郊外のバス停からコレクティーボに乗り、今度はオリャンタイタンボという街へ。そこからペルーレイルという列車に乗ってアグアスカリエンテス、通称マチュピチュ村に向かう予定だった。昨日に引き続き、人間の脳が1日に摂取できるカタカナの量を軽くオーバーしている。

 コレクティーボあるからついてきて、と言われたのに明らかにタクシー(5倍くらいの値段)に案内され、ドライバーと「コレクティーボとは何か」という哲学的激論を交わすという事件もありつつ、私たちは順調にバスと列車を乗り継ぎ、マチュピチュの玄関口へと辿り着いた。

ペルーレイル
これに乗ってマチュピチュ村に突撃する


 この日は村を観光し、翌朝バスでマチュピチュに向かう予定だった。

 マチュピチュ村の初代村長が日本人だというのは有名な話だ。実際、マチュピチュ村には日本の温泉街のような風情があった。周囲を峻険な山々に囲まれたマチュピチュ村では、中心にウルバンバ川が流れており、川の両側にカラフルな屋台や年季の入ったホテルが規則正しく並んでいる。川の両側を行き来できる複数の橋を渡りながら最上流に辿り着けば、そこにはなんと温泉施設があるのだ。

マチュピチュ村I
マチュピチュ村Ⅱ


 私たちはまず、呉服屋でペルー伝統のブランケットをショッピング………するわけではなく、村で唯一の学校にあるサッカーグラウンドに直行した。サッカー好きの友人が、マチュピチュ村のストリートサッカーに参戦したいと言い出したのだ。

 サッカー場では、ヨーロッパや南米など様々な国籍の少年たちがかなりハイレベルで試合を行っていた。忘れがちだが、マチュピチュ村自体が標高約2,000メートルである。サッカーは愚か、日本人にとってはそもそも運動なんてするべきではない環境なのである。

標高2,000メートルでもゴールを狙うエゴイストたち。


 メッシのユニホームを着てプレイしている子供を見て、「日本にもメッシがいることを教えてやる!!」等、最年長とは思えない意気込みで参戦しに行った私の友人であったが、見事ネイマールの子供みたいな年端も行かない少年たちに返り討ちにされていた。

 しかし、ボールを介して異国の少年たちと友情を通わせる友人を見て、私は温かい気持ちになった。スポーツは確かに国境を、言語を、文化を越えるのだ。私は初めてそれを目の当たりにした。

 友人が顔を真っ赤にしながら少年と競り合ってる中、私は暇を持て余して隣のイギリス人家族に話しかけていた。

 父母と5歳くらいのちびっ子がパスパスをして遊んでいて、これならオレでも混ざれそう!と思ったのだ。お父さんが「ミトマ」や「トミヤス」などイギリスで活躍する日本人選手に詳しかったこともあり、私は異国の地でイギリス人ファミリーとスムーズに打ち解けることができた。


「そう言えば、彼、ミトマの後輩だよ!」


 と、お父さんに友人を紹介しようとして指さすと、丁度彼はオランダ人少年にボールを奪われて転んでいるところだった。嘘だと思われたかもしれない。

 その後もしばらくパス回しをしたり、PKの練習をしたりして遊んでいたが、やがてちびっ子が気まずそうにしていることに気付いた。冷静に考えて、家族で楽しく遊んでいるところに得体も知れないヘラヘラしたアジア人が乱入してきたのである。ちびっ子からすれば私が明らかに邪魔である。「自分が楽しいから相手も楽しい」という思い上がりで、旅行中のイギリス人家族の団欒を台無しにしていたことに、海外で開放的な気分になり、普段自分が嫌悪しているような傲慢な振る舞いをしていたことに、私はひどく傷ついた。

 やがて満身創痍となって戻ってきた友人と合流し、ホテルに戻った。夕飯を何にしようかと相談をしていると、


「やばい、腹痛い……」


 と友人は能面のような顔で申告した。


 ……でしょうね。私は思った。


 標高2,000メートルで1時間近く走り回って平気でいられる人間がいるなら、間違いなくスポーツの世界で食べていくべきだ。

 マチュピチュというこの旅最大のイベントを前日にしてトイレから一歩も動けなくなった日本のメッシを部屋に残し、私は仕方なく一人で夕飯に出かけた。

「mapacho craft beer」という洒落たバーみたいな店でアルパカをリベンジすることにした。爆音の音楽とダンス、楽器の演奏を楽しめる賑やかなお店だった。窓際の席に案内され、アルパカの炒め物とピラミッド型のライスをいただく。昨日の半額くらいの値段だったが、正直こっちの方が美味しかった。

 私は久しぶりの美味しい食事に舌鼓を打ちながら、たまには一人での外食も悪くないァ、感慨に耽っていた。

 その時だった。

 突然、ヒョイっと窓枠に猫が現れたのだ。


「はっ!?」


 思わぬ来客に困惑する私をよそに、猫はあっという間に店内に侵入し、私のアルパカ目掛けて突撃してくる。「アルパカを狙うネコ」というトムとジェリーの海賊版みたいな状況を前に、私は店員と顔を見合わせて爆笑していた。トムとジェリーは確かに国境を、言語を、文化を超えるのだ。

 なんだかとても愉快な夜だった。

アルパカを食べに来たネコ


( 続く )


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