正論ほど弱く折れやすいものなんてない
正論言ってる人をTwitterとかのSNSでよくみかけるんだけど必ず反論してくる人がいるよね。
多分これも正論(?)だから反対する人自分の意見がずれているとわからずに考えを述べる人がいると思う。
まあ、そんなに見てくれる人なんているわけじゃないけどね。
なにが言いたいかって言うと正論なんて捉える人を間違えればなにを言っても無駄ってこと。
絵が描けない人に絵描きの辛さを語っても
「自分には関係ない」
そう思った時点で話にならない。
列に割りこんできた人にいけないことだとどれだけ教えても
「俺は、私は疲れてる」「みんなしている」
そう感じてしまえばどんなに素晴らしい話でも考えが改まることはない。
誰かが言ってた言葉を思い出した。
「君は生きてるだけで素晴らしい。生きていることは奇跡なんだよ。」
って。
でも、それってさ、
自分より仕事ができるやつ見せつけられて思えることじゃないよね?
そりゃあ聞いたときは感動するかもしれない、とても心に響くかもしれない。
だけど、次の日、またそんな人をみて劣等感にさいなまれて、
「あ、そうだあの人はこう言ってたな。」
って、思う人はいるかもしれない。
でも
私はそうは思えない。
こんな感じで正論は捉える人によってすぐに効果をなくす。…たとえが悪かったかな。
じゃあ、そんな人にどうすれば自分の言いたいことや伝えたいことが伝わるか。
結局、答えはないんです。
正論を聞いて心動かされる人、自分で体験するからわかる人、過ちを犯してからわかる人、変わらない人。
答えは十人十色、人によって様々。
正論は人を助ける手段ではあるが、正論だけが答えじゃない。
…なに評論家きどりしてんだ。
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