いろんなものが漏れ出した
M-1グランプリ2024、一回戦敗退。しかも、2回も。
我々ジネンジョは8月に一回戦で落ち、その後9月に再エントリーをし、そこでも落とされた。
正直ムカついている。審査員をぶっ飛ばしたい。しかしそれよりも自分をぶっ飛ばしたいから溜まったもんじゃない。あーーーーーー、気持ちの整理をつけたつもりだったのに、書いていたら、また感情が湧き上がってきた。うんこが漏れそうだ。もちろん気持ちのうんこがだ。このクソみたいな感情が漏れ出た時俺は口からうんこみたいな声が出る。うんこみたいな声とは比喩であり、口に出して「ぶりぶり」と言うわけじゃあない。「だぁっ!!!!」とか「がぁ!!!!」とか「んふあっ!!!」とか「い゛い゛い゛っ!!!」とか「しりきうとぅんどぅ!!」とか「ぼのれのふんどんご!!」とかいう発作ともとれる声が漏れ出してしまうのであります。
結果に関して言いたい事は、いや、もちろんあるけど、何を言っても負け犬の遠吠え。何を書いても負け犬の瓦版。瓦版?は?瓦版?
今、この行間の間に少し寝たので落ち着きました。睡眠は大事です。「今日はなんだか、心がざわつくな」っていう日は大抵睡眠不足な事が多いです。昔はそんな単純なことに気づかず感情の沼にハマっていきましたが、今は、あ、睡眠不足なだけだな、と冷静に考える事ができます。そうです、頭が悪いのです。自分がなんでこんな気持ちになっているか、いちいち立ち止まって考えないと自分が立ってる場所がわからなくなります。とか、なんかそんな事書いていると、この人根暗だなと、思われるかもしれませんが、僕は自分を根明だと思ってます。(ネアカって根明と漢字で書いてみると、あれ、こんな言葉あるのか?って思いました。ゲシュタルトが崩壊しました。調べました。ちゃんとありました)
根が明るいと、そう思っています。表面ではアレコレと考えていますが、思考が浅いので答えが出ず悩んでるだけです。根暗ではありません。悩んでるだけで考えてない時もあります。もっと具体的にしていけばいいんです。考えるのはそもそも苦手なんですが、もっと体を動かしながら感覚で物を捉えた方が思考もめぐりやすいと思ってるタイプなので、なので、具体的にするために書いたり、散歩しながらメモしたり、そうやって手足を動かすようにしています。手足を動かしていないと声が出て漏れ出します。そうです、うんこです。外ではしませんよ。野糞になるのでね。ちゃんと密室でするようにはしています。
お気づきの方もいるかもしれませんが、この気色の悪い文章もうんこです。デトックスです。こうやって思ったことをそのまま、手を動かして書いているだけで、なにも考えてないので、いや、少しは考えてはいますが、読んでもなんのためにもならない文章です。しかし、あまりにも敗退してしまったこの現状があまりにも、あまりにもなので、お腹を下してしまっているわけです。いったん、腹ん中のこの悪い虫を、人にしゃべるなり、ここに書くなり、ネタを書くなりして散らさないと、次の為の手足を動かせないのです。
と、こんな抽象的な気持ちばかりを書いていても仕方がないので一旦やめます。一旦、深呼吸をします。呼吸はとても大事です。楽しむこともまた、呼吸と同じ。楽しまないと苦しくなります。呼吸みたいに当たり前にできたらいいんだけど。さ、別のことを話しましょう。
最近、星野源さんのエッセイを読んでいる。その中で、くも膜下出血で死にそうになった時の話が書かれていた。
それを読んでいて、自分が高校生の頃、肺に穴があく、肺気胸という病気で入院したことを思い出した。
高校1年生の冬、体育の授業で冬はマラソンがあった。校舎の外周を、たしか10周くらい走らされる。みんな大体適当に友達と喋りながら軽く走るのだが、剣道部だった僕は、体育教官が、顧問の先生だったのもあり、全力疾走で走り切らなければならなかった。というより、そもそも走るのは好きなので普通に良い記録をねらいに行ってたのだが。ただ、そのマラソン期間は正直、放課後の部活にその疲れが響く。体力も足の疲れも午後練に響くから、嫌は嫌だった。
神奈川の県立高校だったのだが、剣道部は中々に厳しく、もちろん朝練も午後練もあり、毎日ヘトヘトで帰っていた。そこに追い討ちをかけるようなマラソンだ。いつも以上に稽古で息があがる。それにしても疲れるな〜と思っていた。また、筋肉痛もひどく、左の肩甲骨あたりがどうも痛い。剣道で使う部位ではあったから特に気にしてはいなかったのだが。
1ヶ月程たったある日、朝練でトレーニングしている時に異変に気づいた。肩甲骨の痛みの様子が変わった。なんか、左胸がタポタポしている。厳密には胸というより内臓が、だ。ジャンプするとまるで水が溜まっているかのように、体の中で音がする。他の部員にも心配されたので流石に朝練を切り上げ、監督にすぐ報告しに行った。
「あー、お前それ多分気胸だよ。お前みたいな細い体型のやつはなりやすいんだよ」
さすが保健体育の先生だ。すぐに早退し、親と病院に行った。お医者さんに症状を説明すると、
「咳とかすると痛い?」
「いや、んー、咳はあまり、痛くないですね。運動すると痛いというか…」
「気胸だったらもっと痛いはずだから、気胸じゃないね。多分違うね。ちょっと様子をみましょう」
「そうですか…いや、でも絶対なんかおかしいんでレントゲン撮ってもらえないですか?」
と、お願いして念のためレントゲンを撮ってもらった。結果は、
「柳田さん、これ気胸ですね!左の肺が空いちゃってるんで、今から処置します!」
気胸じゃねえか。その言葉は胸の中に押し込んだ。穴が空いた胸の中に。もしかしたら穴から漏れていたかもしれない。というか、片方の肺を潰しながら俺はマラソンも部活もしていたのか。そりゃ息があがるわけだ。
原因はなく、『自然肺気胸』というものらしい。背が高くて細く、若い男性はよくなるそうだ。
レントゲンを見ると左の肺が小さくなっている。空気が漏れて、本来肺のある部分に空気が溜まり、肺が押しつぶされて小さくなってしまっていた。このまま放っておくと他の内臓も空気で圧迫されてしまい危険ということで、すぐさま手術となった。手術と言っても直接、肺の中の穴を塞ぐような、大袈裟な、いわゆる手術室で行うようなものではなかった。そのまま診察室のベッドに寝かされ処置するとのことだった。
「今から脇の下に管を通して空気を抜きますね」
要は左胸に穴をあけて、そこに直接ストローみたいに管を入れてそこから溜まった空気を抜くというのだ。そして、その管を通している間、圧をかけて空気を抜き続け、肺の大きさを戻しつつ、入院中に自然治癒を目指すという。
そんな管なんて異物を、体の中に入れるという不自然な状態でも「自然治癒」と言っていいものなのか。と頭をよぎったが今はそれどころじゃない。
まず、脇の下に局部麻酔を打たれた。これがたまらなく痛い。麻酔の注射なんて、そもそもめちゃくちゃ嫌なのに、それを脇の下に…。しかも2本…。思い出しただけでも変な汗がでる。
なんとか我慢して注射に耐え、そして麻酔が効いた所でメスで小さな穴をあけられ、ズズズ、と、タピオカストローよりも少し太い管を、肋骨の間から身体の中に入れられていく。全身麻酔ではないから意識はあり、痛くはないけど、なにか異様な物が体に入ってくる感覚だけあった。
無事に空気は抜けて、そのまま入院となった。そこからは、ずっと左脇から管が出ている生活。入院生活。管の先にはコポコポと空気を抜く圧をかける機械がついており、空気の抜け具合がわかるメーターも付いている。それを見て肺の治り具合がわかるという。
人生初めての入院だったが、不安よりも正直、「厳しくてしんどい部活が無い」という状況で、リラックしていた。ストレス値は入院中の方が低かったと思われる。むしろ退院した後の体力が落ちた状態の稽古を想像するのが怖かった。
経過も良好で1週間程たった朝、主治医の先生が来て、「この調子ならあと2〜3日で退院できそうですね」と言ってくれた。
その日の昼、家族がお見舞いに来た。5歳離れた兄も久しぶりに来てくれた。たわいもない話をしていた時、なんの話だったか忘れたが、兄の話がツボに入り、かなり笑ってしまった。入院生活で人に会うことも少なく、娯楽もほとんどないのでいつもよりもツボが浅くなっていたのもある。困ったことに、面白い事は大いに良いのだが、笑うと胸が痛いのだ。
胸が痛いと書くと、胸が締め付けられるような、気持ち苦しいように聞こえるが、そういうわけではない。身体の中に管を通しているから、笑うとそれが響いて物理的にとても痛いのだ。笑って「腹が痛い」という表現はした事はあるが、「胸が痛い」と思ったのは初めてだった。
「やめてくれ、痛いから…!笑わせないで…!くくく…!はははっ…!ひひぃ…!いてて…」
という俺の様子を見て、兄はむしろ、拍車がかかったように笑わせてくる。
「ちょっとほんとに、ははは…ひい…いててて…やめてハハハ…」
母に「やめなさいよ」と兄は諭され、なんとかおさまったが、笑わしてもらったのに、こんなに痛みと怒りが湧き出たのは初めてだった。ガキ使の、絶対に笑ってはいけない病院24時とは比にならないくらい、自分が笑ってはいけない状況だったことに、そこで初めて気づいた。
次の日、回診に来たお医者さんが、機械のメーターを見て、
「あれ…また、穴があいてきているな…」
と言った。
完全に兄貴のせいだ。ふざけんな…!!と心から怒りが込み上げてきた。「笑いは百薬の長」なんて言葉もあるが、笑いに病状を悪化させられたのは俺が初めてかもしれない。
自然治癒が見込めない、という判断になってしまったので、手術をすることになった。今度はちゃんと肺の中の肺胞と言われる、小さな塊の、穴があいた部分を結合して穴を塞ぐ手術だ。内視鏡なので大きく胸を切開するわけではないが、今度は全身麻酔での大掛かりな手術となる。
ガキ使だったら「柳田OUT」と言われてもケツバットか、吹き矢か、タイキックですむところだが、笑っただけで胸にメスをいれられるなんて、たまったもんじゃない。ま、タイキックも嫌だけど。
手術は無事に成功した。穴も塞がり、管も取れた。術後すぐは、病室も個室になり絶対安静。丸1日は立ち歩けないので、トイレにも行けない。「尿道に管を通しますか?」と聞かれたが、これ以上管を体に入れてほしくなかったので、尿瓶にすることになった。点滴で水分が随時身体に入ってくるからか、めちゃくちゃ、おしっこが近い。尿瓶に出そうと試みたが、これが中々難しい。膀胱パンパンなのに尿がでない…
そこで初めて気づいたのだが、普段人間は、あるいは大人は、「寝ながら(しかも外のベッドの中で)おしっこをする」ということに慣れていないからか、出そうと思っても脳も体も出し方がわからなくなるのだ。普段、なにも考えずにできているおしっこが、ベッドで寝ていると、どこに力をいれれば出るのかがわからない。なんとか腹筋に力を込めて尿瓶に出すことができたが、30分くらいかかってしまった。「じょなは、子どもの頃、オムツとれてからオネショをしたことがない」と母に言われた事があったから、単純に俺が寝ながらおしっこをするのが下手なだけかもしれない。
ま、でも無事に退院でき、その後、今の今まで気胸の再発は無いから、良かった、よかった。肺気胸は、自然治癒よりも、手術の方が再発率は低いみたいなので、そこだけは兄に感謝かもな、と思っている。(自然治癒だと再発率は50%程だそうです)
それにしても「笑い」で胸が痛くなったあの体験は、もう二度と味わいたくない。
いや、M-1落ちた今も「笑い」に胸を苦しめられてるじゃねえか。
「あ゛ぁ…!!!」
もう肺から空気は漏れないが、口からまた、うんこが漏れ出した。
読んでくれて、ありがとうございます。
タイトルを『M-1ざけんなブッ飛ばす』にしていたんですが、流石に変えました。
漫才、信じてやり続けます。
あと、誰かなんか連載の仕事ください。
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