味噌っかす
中が黒塗りのおわんに入った味噌汁を飲み干すと、器の底に残った味噌のカス達が、無数の星空に見えた。
俺はその星々の形に、想像力をフル回転してミソッカス座と名付けた。立ち上がり、器を流しで洗う。ミソッカス座はすべて流星群となり、排水溝にクレーターもつくらず落ちていった。
いつも食器を洗っていると思い出すのが、宇多田ヒカルの『光』のMVだ。『光』はご存じ、ゲームのキングダムハーツの主題歌に使われており、俺が初めてレコチョクから携帯電話でダウンロードした曲でもある。もちろんゲームも隠しエンディングを見るまでやりこんだ思い出深い作品だ。当時はまだテレビもブラウン管で、友達から借りたPS2(結果、借りパクしてしまった。ごめんね、しょう君。)でプレイしていた。ブラウン管の画質調節のやり方も分からず、ほとんど画面が真っ暗なまま全クリした。だから『光』がゲーム内で流れる度に「画面は暗いなぁ」と思っていた。
最近ゲーム欲が半端じゃない。新しいゲームをする時間も金もなく(スマホアプリはあまりハマれない。というかほとんどやらない。)なにか夢中になれるものはないかと考えた。
このnoteをゲーム感覚でできないものだろうか。と、ふと思った。生放送のラジオのように、喋るように文字を打つ。それでどんな文章ができるのか。そんな遊び。生ラジオならぬ、『生modio』だ。原稿を俺はスマホで打っているので、右手の親指で喋ることになる。もちろん、生なので一度打ってしまったら編集する事もできない。ためしに今やってみよう。
「えーと、そうですねこの間風呂上がりにえー、と、あの漢方薬を飲もうと思いまして、冷蔵庫に炭酸水のウィルキンソンあるでしょ。ウィルキンソンで、顆粒タイプの葛根湯、漢方のね、葛根湯を、飲もうと思ったら、もう口の中でシュワシュワシュワシュワ!ってはじけてあの、メントスコーラみたいな感じですかね。あの、びっくりして、もうすぐ飲み込んだんですけどなんか胸焼けしてそこから、なんか胃の中で空気がうまれてるきがして気持ち悪くてねぇ。ええ。だからこれ、同じ経験したことあるひといますかね?えーというか、そうなるのかなほんとに、俺がそう感じただけなのかな。ね、同じような経験をしたことある人とかいたらね、せひぜし、あいや、是非是非お便り送ってほしいですけどね。」
うーん。やめよう。なに言ってるかも全然わかりづらい。一旦セーブポイントでセーブして電源を切りました。そうですね、この『生modio』というゲームにレビューを書くとしたら、
{広告に出てきて興味を持ったので、ダウンロードしました。内容についてはまず、さながら、俊敏なフリック入力を必要とすることにより、アプリのパズルゲームのような操作性はあったものの、パズルゲームのような爽快感や達成感はありませんでした。文字を打つことによってモンスターを倒すみたいな工夫もなく、レベルアップの機能もない。到底ゲームとは言えないような代物でした。しかも、音声入力のスキルを使うには課金が必要です。PC等のキーボードでとても早く打てる人なら成立するのかな?また、本当にラジオのように他人と会話、まぁチャットになってしまいますが協力プレイができる機能もあればいいと思いました。でも発想や新しい事をしようという制作者の意図は伝わったので星3つです。☆☆☆★★}
とにかく、ハマれるゲームを探している。
大人になってからハマったゲームをひとつ紹介したい。『moon』というゲームだ。
初代プレステのゲームソフトで(今はニンテンドースイッチでもダウンロードできる)知る人ぞ知る伝説的なゲームなのだ。うちにこのゲームソフトはずっとあったのだが、兄貴が買ったものだったので、俺は子供の頃はプレイしたことがなかった。
19歳で一人暮らしをはじめた俺は、その兄貴のゲームソフトを何故か段ボールにつめて持ってきていたのだ。20か21歳の頃だったか、暇になった俺はその『moon』というゲームをなんとなしに始めてみようと思い、ホコリ被ったプレステの電源を入れた。
テレビ画面にプレステの文字が浮かび、ゲームが始まった。
そのゲームの中でも、主人公の少年が、パジャマ姿で暗い部屋の中、テレビゲームをしている。『moon』の物語は、その少年がしているRPGをプレイするところから始まる。劇中劇ならぬ、ゲーム中ゲームだ。そのRPGの勇者に名前をつけ、街を散策し、部屋の中などでアイテムを見つけ、モンスターを倒し、魔王のドラゴンを倒しに行く。魔王を倒す所まで進めるとバグった様に画面が砂嵐になった。そこでゲーム中ゲームから、また、テレビの前の主人公の少年に場面は戻る。「ゲームなんてやめて早く寝なさい」というお母さんの声が聞こえる。しかし、テレビを消そうとしたその時、少年はテレビに吸い込まれてゲームの世界に入ってしまうのである。
少年が先程までプレイしていたRPGの世界に入ると、まず勇者が目に入った。さっきまでの、自分で操作していた勇者からの視点とは違い、客観的に見た勇者は、狂ったかのように罪のないモンスター達を殺し、勝手に人の家に入っては、タンスを荒らして物を強奪していた。さらに、それらをとりまくモブキャラだった街の人達も、実は色んな悩みを抱えていて、そんな人達の悩みを解決したり、勇者に殺されたモンスターを助けることによって、少年は“ラブ”というものを集めて行く。そうやって暖かいキャラたちと関わりながらも、勇者の行方と共にこの世界の謎を解いていく。
わかりにくいかもしれないが、簡単に言うとこんなあらすじのゲームなんだが、この『moon』はバトル等の要素も無く、「アンチRPG」「アンチゲーム」をテーマとしている。だからこそ、本当のエンディングをむかえるための仕掛けがすごかった。真のエンディングを見れた後、俺は中々テレビの前から抜け出す事ができなかった。是非、機会がある人は最後までプレイしてみてほしい。
また少し話は変わるけど、我々の生きてるこの世界も、ゲームのような「仮想現実」なのではないかという説がある。みんなも、同じような妄想をしたことが一度はあるかもしれない。たしかにそう思うと、もうちょっと多角的に物事を見ることができるはずだ。
仮にこの現実を『Earth」というゲームだとしよう。
この『Earth』というゲームの性質上、ゲームを起動すると元々の記憶が全く無い状態からスタートすることになる。だから我々は、この世界はゲームだということも忘れてプレイすることになるんだ。つまり、忘れてしまっているだけで、実は“俺”というキャラクターを操作しているプレイヤーの本当の姿は、Fカップ巨乳のギャルという可能性もあるよね。そのギャルである俺が“柳田如那”という名前をキャラクターにつけてゲームを楽しんでいるのかもしれない。
もしも、『Earth』がオンラインゲームだとしたら、あなたが今日電車で見かけた綺麗な女性は、実は70歳のお爺さんが操作しているのかもしれない。お母さんだと思っていたあの人は、現実世界ではパジャマ姿の実の息子が操作していたりして。
いや、そもそもこの仮想現実『Earth』は、ゲームの世界観なんだから、現実の本当の自分は、同じ地球人のような姿とは限らない。例えば、悩みとかそういう概念すら感じない、物理的な身体を持たない“光の塊”みたいな生命体なのではないだろうか。だからこそ「悩み」「苦しみ」「喜び」などの様々な感情の体験をする為に、身体という物を作ってゲームをプレイしているだけなのかもしれない。ということは、その謎に気づいてしまった俺はもうゲーム終盤にいて、そろそろ魔王のようなラスボスがいる城に向かって装備を整えている段階なのだろうか。王の間の扉の前にあるセーブポイントで、この文字を打っているに違いない。
でもなんなんだ。この世界のゲームクリアとは。王の間の扉を開いても、魔王はどこにもいないじゃないか。どうしたらいいんだ?どうやったら俺はこのゲームをクリアして、元のFカップ巨乳ギャルの光の塊にもどれる?今日も俺はこの世界の、見えない魔王を倒すために、東京というダンジョンをボロボロになりながらも突き進むのであった。
けど、どんな辛いことがあっても大丈夫。だって本当の俺は、Fカップ巨乳ギャルの光の塊なんだから。思い出した、しかも黒ギャルだった。Fカップ巨乳ギャルの黒光りの塊だ。
あれ?みんなついてきてるか?ここまで理解しているか?もう君たちは俺のパーティなんだぜ?一緒に魔王を倒そうぜ?そしてお前らも本当の自分を思い出そうぜ?コントローラーを握ってる本当の自分の姿を想像しろ。今は仮の姿だ。だからこそ存分にゲームを楽しめ。泣きたくなる夜、死にたくなるような夜もあると思う。でも大丈夫。そんなくだらない悩みでゲームオーバーしなくていいんだよ。だってその悩み自体を体験しにきてるんだから。
だからといって、無理してコンティニューする必要もないと思うけどね。だってこんなくだらないゲームを必死にプレイしている本当のあなたの姿は、一等星みたいに眩しく輝く、ミソッカス座の光の塊なんだから。
それではここで一曲聴いてください。宇多田ヒカルで『光』。
読んでくれて、ありがとうございます。
『moon』、好きな人は好きだと思います。ラブデリックていう会社のゲームなんですけど、その会社が解散した後、その制作者の内の人がつくった『ギフトピア』ていうゲームも僕は好きです。でも結局、小学生か中学生の頃、友達と集まってやった64のマリオパーティ。あの時間が1番楽しかったりするんだなあ。
ゲームはみんなで遊ぶのも、1人で遊ぶのも自由だ。でも人生ゲームって1人じゃ遊べないよねぇ。
いつも以上に読みづらい文章だったでしょう?『生modio』だったから一度打ったら編集できないルールだったんですよ。はー、つかれた。See you!