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雑談

今日、オンライン(Zoom)で知人を雑談に誘ったら、その人にとって誰かと話すにはとてもいいタイミングだったみたいで、とても感謝されてしまった。ちょっと恥ずかしかったけど、なんか良い事できたみたいで、とても嬉しく、ハッピーな気持ちになった。こちらこそありがとうという気持ちになる。

私の幼稚園頃のあだ名は「おしゃべりマシン」。上の兄弟が10歳違いでほとんど大人の中で育った私は、男の割には喋りの習得が早かったのかもしれない。というよりそうじゃないと自分の家族の中での存在が消えてしまうというサバイバル感で必死に言葉を覚えたのかもしれない。でもいずれにしてもおしゃべりな幼児だったのだと思う。

しかし小学校の高学年、中学、高校、大学と進学するにつれてあまりしゃべらなくなり、会社に入ってしばらくはむしろ無口な方だった。再びよくしゃべるようになったのは、社会人になって5年目くらいだったかもしれない。そして起業するに至って、幼稚園の頃のおしゃべり屋が完全復活した。

ただ最近は、放っておけばずっとしゃべっているということはなくなり、人の話も聞くようになった。これはおそらく歳をとって、しゃべる体力が落ちてきたからかもしれない。野球で若い頃、力でバッターを封じ込めるスタイルの投手でも、ベテランになると変化球など配給でアウトを取るスタイルに変化するというアレである。

雑談に話を戻すと、雑談は「聞くこと」と「話すこと」のバランスが大切だと思う。こちらが一方的に話をしたりすると相手も聞いてられない。だから適当に「話す」と「聞く」を入れ替わらないといけない。特に二人の時は、これが大切だ。私の場合は、相手に話をしてもらって、その話の中に、自分も共感できる事を拾って、こんどは自分がしゃべるというスタイルが楽だ。そして一通り話したらまた相手にしゃべってもらう。

また三人以上の時は、話の回し役になるのが好きな立ち位置かもしれない。でも自分がしゃべりたい話題にハマると、暫く一人でしゃべってヒンシュクを買うという失敗も相変わらず多い(笑)

まあいずれにしても、雑談は楽しいし、何より、話す事で元気になることも多い。特にこんなコロナの時代で、気軽に人に会えない中で、話す事で明るい気持ちなれれば、これに越したことはない。

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