ある起業譚(6)
この物語は、個人の起業体験を元にしたセミフィクション(半分はフィクション)です。登場人物、固有名詞は実在の人物や名称とは異なります。
■コミュニティを知るために、地域参加する その2(1995年から1997年)
意気揚々と住民の一人として建設協議会に参加したのだが、正直がっかりさせられることの連続だった。まず30代で参加している男性は私だけだった。男性の多くはリタイヤした人たち。女性は子育てを終えた主婦が中心だった。
都心の会社に勤める住民が多いニュータウンなので30代の男性が少ないのは理解できる。しかし、平日の昼間から地域の会合に、仕事でもないのに参加するこの男いったいどういう人間なのかと、訝し気に見られるのには閉口した。後で聞いた話では、「こいつ、見慣れない顔だが、今度、市議会議員にでも立候補するつもじゃないか」と思われていたらしい。そんな理由からか、協議会で書記として議論をまとめようとしたら、後ろの方の元市議員から「若造は黙ってろ!」という野次が飛んだ。私はその時、驚くと同時にちょっと「わくわく」した。「来た来たこれが閉鎖的な地域コミュニティの洗礼か」と思ったからだ。
地域コミュニティなど閉鎖的なコミュニティをどうしたら開かれたコミュニティに変えていけるかということも私のテーマの一つだった。自分の仮説では開かれていないコミュニティは、クリエイティブな場とならないからだ。それはシリコンバレーの話を聞いていても明らかだった。コミュニティを開放的にするには、コーディネーション的(今日の言葉で言えばファシリテーション)なスタンスで、マネジメントに参加するメンバーが存在すると効果的という結論は得られた。
そしてこの後、2年近くこの協議会に関わって、結果、窓が大きく、外からでも中の様子がわかるラウンジ付きの空間が完成したときには、感無量だった。それは私が提案し続けたものだったからだ。