ASD30歳、障碍者手帳を取りに言ったあの日
お疲れ様です。お待たせしました。
次男坊です。
2024年5月、私は生まれて初めてのことをしました。
自分の持つ障碍者手帳が有れば軽自動車税を減免できると知り、お昼時間休を取って市役所に相談しに行きました。
一応情報は効いていたのですが、実行に移したのは今回が初めて。
ふと、自分が手帳を取りに行ったあの日のことを思い出しました。
(今回は日記感覚なので気軽に聞いて下さい。)
手帳を取りに行った2021年11月
最初の自己紹介の方でもお伝えしましたが、私は精神障碍者の手帳(3級)を持っています。
一応診断書は出していたので、周囲からの理解は得られていたのですが、職場の当時の部長さんと相談し取りに行くこととなりました。
手帳を取りに行くことを両親に話し、承諾を何とか得ることが出来ました。
あの時に行った母の言葉が今でも忘れられない。
「確かにそういうところ(ASDなところ)があったけど、あなたにはそれをはねのける力があると思っていた。」
確かに周りから自分はASDと思われるような行動はあったと自覚しています。
それで周囲に迷惑をかけることは何度もありましたが、何とかやってこれたつもりでした。
世間にはASDを公表しながらも懸命に努力し、成果を出している人がいます。
今から言うことはそういった人たちにはもしかしたら大変失礼かもしれなませんが、確かに自分はこう思っていました。
もっとASDであることを明かさずに戦いたかった。
ASDを打ち明けることが怖かった、と。
手帳取得決意の朝
とは言え診断書が出ている以上もう隠しきれない。
実際職場ではこのことに理解を示して、私に仕事を振ってくれていました。
市役所に電話し、手帳を取得する上で必要なものを準備しながや日取りを決めて行きました。
出発から到着まで、私の心は言葉にできない感情に覆われていました。
恐怖、緊張、後悔、不安、その他諸々の欲や負の感情を「前に進むためだから」と押し殺し、やっと言葉を出すことが出来ました。
帰りの車内、私はある歌を聴きました。
THE BLUE HEARTSの「パンク・ロック」です。
この歌の不器用だけど何かを伝えようとする歌詞、静かだけど確かな情熱を併せ持つメロディが、その時の自分の内面とマッチしました。
その歌を聴き終わった直後、私は自分に言い聞かせました。
後ろ指さされようとも我々には前に進むしか道は残されていない、と
障碍者手帳の取得を考えている方へ
手帳を申請する上で必要なものを調べたところ地元ではこんなものでした。
特に写真はよくサイズを間違えやすいのでお気をつけください。
地元の市役所のホームページなどの注意事項をよく読んで持参してください。
また基本的なところですが診断書も医療機関によってはなかなか出さないところがあります。
自分もそうだったのですが、診断書となるとその後の人生を左右することになるので「下さい。」と言うのも億劫になります。
そういう時は職場等で相談し具体的な診断書及び手帳取得の日程を立ててもらうと早いです。
終わりに
今回は障碍者手帳を取得したときの自分の話をさせていただきました。
少し暗い内容になってしまったかもしれません。
実際、書いてく途中で何度も投げ出したくなりました。
それでも勇気を持って前に進もうと思い、今回まとめた次第です。
同じ病を抱えている人たちが少しでも楽に生きていける世の中になることを祈っています。
それでは今回はここら辺で失礼させていただきます。
本日はお付き合い頂き誠にありがとうございました。
ハロー!そして…グッドバイ