見出し画像

大河ドラマがきっかけで鎌倉時代にひかれた話

今日は鎌倉時代に興味を私が持つに至ったことについて記事にします。

私は山口県下関市で生まれて育ちました。
小学6年で歴史を学ぶとすぐに幕末や吉田松陰・高杉晋作のことばかりが耳に入ってきました。
壇之浦の戦いで滅んだ平家よりも多く。
下関=幕末・長州藩ということ。
この感覚がすごく嫌いでした。
今でも嫌いです。
幕末といえば江戸の終わりとされていますが、少なくとも鎌倉幕府にも室町幕府にも幕末はあったはず。
この違和感が今だに江戸の幕末と長州藩・松陰や晋作を私に語らせません。

そんな時に出会ったのが大河ドラマ「太平記」
鎌倉幕府の滅亡から建武の親政・室町幕府誕生と南北朝時代突入までを描いたドラマでした。
私はもう鎌倉武士にひたすら魅了され、その時発売された研究書も購入しどんどん鎌倉時代にひかれていきました。
それゆえ1333年5月22日鎌倉が落日を迎えた日の放送以降、太平記を見ることはありませんでした。
DVDボックスも前半しか購入していないほど、鎌倉政権の崩壊・鎌倉時代の終焉は私にとってとても大きな意味を持つ転換点でした。

京都にある大学に進学し3回生の時にゼミを選ぶ時、当然のように中世史のゼミを希望しました。
実は希望人数次第では試験をしてゼミを決めるという噂があって、伏見稲荷にお参りして中世史のゼミに無事に所属できるようにお願いもしました。
少しテスト勉強もしましたね。
結果は何の問題もなく中世史のゼミに入ることに。
近世史のゼミが多くてそこが選抜の対象になっただけでした。

ゼミでは得宗専制政治と長崎氏についての研究をしました。
大河ドラマの「太平記」はその当時の若手俳優からベテラン俳優までそうそうたるメンバーが出演していた今思えばすごい作品でした。
私は鎌倉政権側にひかれていたのでそちらに感情が向いていました。
特にひかれたのが内管領長崎円喜を演じられたフランキー・堺さん。息子の高資の西岡徳馬さんとのやり取りは最高でした。
フランキー堺さんは赤かぶ検事のドラマでも素晴らしい演技をずっと見せてくれましたが、私が京都に進学している時に残念ながら亡くなられました。もう少し演じられる姿が見たかったと思う俳優さんでした。
私が大学のゼミで長崎氏についての研究をすることを決めたのは、実は大河ドラマ「太平記」でのフランキー堺さんを見てからということは、いまだに誰にも語ったことがない事実です。
大河ドラマからの影響が今の鎌倉時代に熱中するきっかけになるなんて、当時の私にはとても想像できないことでした。
今でもフランキー堺さんが大好きでDVDを見て懐かしんでいます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?