様々な意見があっていい
昨日はアンナ・カレーニナの第3回運営サークル会議昼・夜でした。
白熱した実りの多い会議で非常に有意義な時間を過ごせました。
次回の第4回運営サークル会議は21日土曜日に昼夜合同での開催。
13時半からですが私はこの時間はまだ仕事が終わっていないので多分参加出来ません。
長い間運営サークルをしていますが会議に参加出来ないのは初めてかも。これある意味貴重なことか。
アンナ・カレーニナが市民劇場の例会作品の候補で紹介された時、会員の中から「今何故この時期にロシアの作品を?」という意見が寄せられました。
ロシアとウクライナの戦争が始まって数か月経った頃で、そんな戦争を起こしたロシアがけしからんということでの意見でした。
あれから数年いまだに戦争は続いています。
この戦争誰が見てもロシアの大統領が悪いことは明白です。
彼とその周囲の人物が将来何らかの形で裁かれることはあるかもしれません。
世界史の教科書に載った段階でものすごい批判を受けて過去の独裁者と同じような扱いを受けることになる気がします。
そのこととロシアのあらゆるものがいけないというのを混同させてはいけない。
今回の戦争によってトルストイという非常に優れた作家が敬遠されることはあってはならない。
彼の「アンナ・カレーニナ」の舞台を躊躇する理由などまったくない。
最近こういう混同が存在している気がします。
坊主憎けりゃ‥‥の発想でしょうか。
この戦争によってロシアを嫌いにならないで欲しい。
数多くあるクラシックの名曲も文学作品も他の芸術作品もすべて別のステージに上がって評価されている。
もう人類の偉大なる遺産と言える存在になっている。
素直な気持ちでそれをこれからも楽しんでいこう。
その気持ちが一番大切だと私は思います。
様々な意見があることはいいことです。
ただ少し冷静になって考えて欲しい。
戦争を起こしたからロシアが悪い=ロシアのあらゆるものを遠ざける、この姿勢が本当にいいことだと思いますか。
芸術作品に罪はありません。
下関市民劇場の会員からも先程の意見が出ていいなと私は感じました。
そういう感覚は大事にしてほしい。
アンナ・カレーニナをお迎えするにあたり大切にしなければいけないことがあるなと感じている今日です。