我が将棋が好きな理由トップ3
我も雑談というか、そんな感じの記事を書いてみようかなってことで、将棋の好きなところを3つほど紹介します。ま、我のひとりごとだと思って読んでください。
第3位
勝利と敗北
我には4つ下の妹がいるんですけど、ここだけの話、妹が生まれる前から嫌いなんですよ妹のこと。理由は....まぁ幼少期の長男長女あるあるの、”親がとられちゃうから”なんですかね。そんな憎き存在に我が負けていいはずがない、何をやっても我が勝たなきゃ気が済まなかったんですよ。だから習い事に始まり対戦ゲームまで、すべてにおいて我が勝てるよう努力した。おかげで対戦ゲームには一切付き合ってくれなくなっちゃったんですけどね(笑)
それが生きたのか我は常に、戦って、勝敗を求めてきた気がする。なかでも将棋は勝敗の明確さだけでなく、ネット等で手軽にできるところからその沼に浸かりきってしまったのですね。そして同時に結果も求めてきた。そして偶然か実力か、ほんとに結果が出てしまったのでもうそりゃ楽しくて仕方がないわけですよ。
それゆえにかコロナで大会がない今、本当につまらない。
今年に入ってまだ1つも大会に出てない。ネットではのりたま将棋クラブの活動をはじめ指す将順位戦やその他ネットの大会には出ているが、やっぱりネットとリアルとでは全く違う。正直ネット将棋での勝利→結果が喜びに変わることはない。”敗北=罪悪感”だけが山のように積まれていって、我は押しつぶされてしまいそうです!!
第2位
駒の形・大きさ・書体とか
我は硬筆を5年間、書道を3年間習ってました。将棋と書道ってかなり関係性があるんですよね。将棋の駒もそうだし、棋士の先生方も色紙や扇子に字を書くし。まぁといってもあまり深い話はできないのですが、ただただいいよなぁって。
日常生活において五角形のものってあまりないですよね。なぜ将棋の駒は五角形なんでしょう、私気になります!
ということで調べてきました。
”当時日本では、文書の記録や整理、検索をするのに木簡や題籤(だいせん)といった、5角形の形をした木材を使用していました。これらはいずれも、使い終わると、削りなおして再使用されていたのですが、再利用を重ねるたびに小さくなり、文書の記録には適さなくなってしまいます。そこで、当時の日本人は、小さくなった木簡や題籤を将棋の駒として再利用したのではないかと私たちは考えます。”
→https://www.i-tsu-tsu.co.jp/blog/trivia-of-history-of-shogi/
ということらしいです、いやぁお勉強になりました。
第1位
みんなに会え.... いやちょっと恥ずかしい
我がのりたま将棋クラブに入ってなかったら、きっと高校で将棋をやめてた。大学では指してないだろうし、アマチュア大会に出ることもなかったかもしれない。東京や大阪、三重に行くこともなかったし、今こうしてみんなとTwitterや通話で絡むこともなかったと思う。
我はコミュ障だかなんだか知らないけど、初めて会う人に声がかけられないのです。ノリと勢いがあるときはいいんだけど、話しかけられたりちょっとでも躊躇してしまったりすると声が出せないというか、言葉が出てこないというか。だから人と接することってくっそ苦手だった。いや今も変わってないか。
でも将棋は対局中に話すなんてことはないし、感想戦はちょっと難しいけど、それでもなんとかやってきたって気がします。それは、対局を快く引き受けてくれる方、我が質問したら答えてくれる方、我のわがままに付き合ってくれる方... みんなのおかげなのですよ、ありがとう。
この先我が、今みたいに将棋を指していられるかは分からないけれど....
とにかく今この時を大事にして、大事にします!
こういう記事書くといづれ黒歴史になる気がするけど、深夜モードの我には知ったこっちゃありません。ではまた次回 ノシ