【バンクシー展】自分の頭で考えないと、頭のいい人たちに利用されておしまいかも・・・ってお話。
現在大阪で開かれている「バンクシー展」に行ってきました。
実はバンクシー展に行くのは2回目で、1回目は終了30分前くらいに入ったのですが、ぜんぜん時間が足りなかったんです。
映画でいうレイトショーみたいに、夜の部だとチケットが安かったので「ラッキー!」と思って買ったのですが、しくりました・・・
まだ行ってない方は、少なくとも「2時間」はかかると思ってた方がよさそうです。
ごめんなさい。話がそれちゃったので戻します。
でですね、結論からいうと、「バンクシー展」、今まで行った美術展の中で1番よかったんですよ。
北は「北海道」から・・・
いや、
北は「北極」から南は「南極」まで、さらには「アウストラロピテクス」から「クロマニョン人」まで、全人類に行ってみて欲しいなと思いました。
まるで胸に銃弾を受けたかのような、バンクシーの発する「反資本主義」「反権力」の強いメッセージ。
そんなバンクシー展をみて回って思ったのは、「自分の頭で考えることをやめると、頭のいい人たちにいいように使われて終わるな」ってことでした。
「キリスト・ウィズ・ショッピング・バッグズ(買い物袋を持つキリスト)」
たとえば、こちらの画像を見てみてください。
たくさんのプレゼントが入った重たい袋を持ったキリストが、磔 (はりつけ) にされています。
本来クリスマスっていうのは、慈悲や思いやり、感謝の祝日であって、物質に縛られることがあってはならない、とされていたみたいです。
しかし今ではご存知のとおり、高価なプレゼントや、ケーキやチキンなどのご馳走をいただく日となっています。
これは本来あるべきクリスマスの目的を忘れてしまった人たちが、企業のマーケティング策に踊らされ、企業を儲けさせることに懸命になっていることを皮肉った作品として知られています。
言葉を選ばずにいうと、僕たち「消費者」は、クリスマスをイベント化した「企業」に、いいように利用されてお金を遣わされているというわけです。
パッと思いつくところでいえば、コスプレやお菓子を楽しむイベント「ハロウィン」や、「バレンタインデー」「ホワイトデー」といったイベントも同じように、企業のマーケティングが色濃く反映されている気がします。
トキシック・メアリー
もうひとつ。
毒の配合されたミルクを赤ん坊に与える聖母の姿。
こちらは、「宗教が信者に真の安全をもたらしてくれているのか」という疑問を投げかけた作品だそうです。
「信じるものは救われる」という言葉がありますが、宗教とはまさに「信仰心」でできています。
しかし「信仰心」が強くなりすぎた結果なのか、ほかの宗教への「敵対心」を生み出してしまい、宗教が「引き金」となってたくさんの戦争が起こってきたのもまた事実ですよね。
もちろん、少なからず宗教がもたらすメリットもあるとは思うのですが、被害の大きさを思うと、メリットなんてわずかなものなのかもしれません。
つまり「宗教で救われる」というのは、「嘘なのかもしれない」ってことです。
というわけで
最初にお伝えした「イベントは企業のマーケティングの一環で、消費者はそれに踊らされている」というのも、「宗教がひとを救う」っていうのも、人々を都合よく動かすための「戦略」なのかもしれません。
とはいえ、かりに戦略だったとしても、「じゃあ絶対悪いのか?」っていうとそんなことはないと思っています。
クリスマスっていうイベントに乗っかることで日頃の感謝を伝えるきっかけになるかもしれないし、何か信じるものがあることで幸せにつながることもあるハズ。
人生楽しんだもん勝ちですから、おおいに利用すればいいと思います。
ただし、その裏に隠された本質を見抜く必要はあって、たとえばなぜクリスマスがイベント化されているのか、なぜ宗教が存在するのかっていう問いは自分に投げかけ続けたほうが良さそう。
じゃないと、頭のいい人たちに利用され続ける一生を送ってしまいそうなので。
そんなの悔しいじゃないですか・・・
「思考力」っていうのは、身につけた方がいいなーと、バンクシー展で思いました。
最後に、ドラゴン桜の名シーンを共有して、今日は寝ます。
おやすみなさい。
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