「あの本と出会ったからこそ今の自分がある」いい本になるかどうかは自分次第!?

喜多川泰さんの「スタートライン」という本を読みました。

「いい本と出会っても、自分が何もしなければ、出会っていないのも同じだ。いい本と出会ったら、必ず何か行動を起こして、この本と出会ったから今の自分があるという状態を作らなければならない。そうしたときにはじめて、君にとっての、その本の価値が決まる」

本の中にこういう一説があったのですが、今回は「いい本」を本当の意味で「いい本」にするためにどうしていくか、について考えてみます。

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たくさんの本を読み、講演会に行ってきました。でも・・・

これは自慢なのですが・・・

これまで読んできた本をすべて積み上げると、多分3階建ての建物に匹敵するくらいには読書をしてきました。(へへん)

本だけでなく、有料・無料問わずセミナーに通ったり、世間でいう成功者といわれる人の話を聞きに行ったりもしました。金額にすると多分100万円は余裕でいってると思います。(へへん涙)

で、大事なのはここからなんですけど・・・。

そういうのを全くしなかった時の自分と、今の自分とを比べた時、もしかしたらそんなに大差ないのでは、と思うことってよくあるんです。

もちろん、読書したり講演を聞きに行ったことで多少の行動の差は出てると思うんですが、人生が変わるレベルの役に立っているかと聞かれると、いまのところそんなに・・・という気がしています。

とくにここ最近、たとえば3年前にはすでに読書が習慣化していて、そのときの自分と今の自分を比較すると、その成長は微々たるものです。

その理由が冒頭にあったものだと思っていまして、せっかく良書に出会ってもその後の「行動」まで結びついていないんですね。

読んで満足、聞いて満足、みたいな。

良書との出逢いは、ストーリーを進めるためのきっかけに過ぎません。セミナーも同じです。

ジブリ映画「もののけ姫」では占い師のおばあちゃんが、イノシシの呪いを受けたアシタカに対して「アシタカ彦や、東の森へ行きなさい。そうすればその呪いもとけるかもしれない」的なヒントを出してくれます。

にもかかわらず、アシタカが「うぉぉ!東の森へ行けば呪い解けるのかヒャッホーイ!」と騒いでるだけで一向に村から出なけりゃ、呪いが全身まわって死ぬだけじゃないですか。

良書と出会うっていうのは、占い師のおばあちゃんの一言のようなものだと思ってまして、あくまでその後のストーリーをよりよく進めるためのヒントであって、そのヒントをもとに行動を変えないとムラデシヌ彦になるだけなんですよね。

サンに出会うこともなけりゃ、たたらばに行くこともシシガミ様に出会うこともありません。

ストーリーつまらな過ぎて、開始20分で映画館デル彦続出です。

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