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世の趨勢で大学には生命◯◯と銘打った学部・学科が目立つけれど
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はじめに
高校生のまなびをサポートして近ごろ思う。志望大学選択の相談にのる際にふと気づいた。理系重視がこのクニの方針らしい。情報◯◯など世のだれもが必要だろうとか人材がたりないとかで新たにつくられる学部や学科。
わたしの研究分野ならば生命◯◯と銘打つところができるとどんなところだろうと気になる。お手伝いする大学にもいくつかそういう名称の場がある。そこでおこなわれる講義の内容とは。
きょうはそんな話。
AIさんにたずねると
学科名やコース名で学ぶ内容がわかるならばいい。あくまでも架空の名称だが、おなじ生命系でも海洋生命コースとか生体工学科とかならば、どんな講義や実習がおこなわれるのかそこそこあたまに浮かびやすい。生命系や化学系ならば前後に言葉がくっついても、わたし自身の慣れ親しんだ学問領域周辺なのでまだわかりやすい。
ところが縁遠い若干はなれた分野、たとえば文化構想学(実際の学科とは関係ありませんのであしからず)とは何だろうとふと立ち止まってしまう。おそらくふだん耳にしづらい言葉。AIにおたずねすると「文化と社会の関わりを研究する学問 」と答えてくれた。まだこれでもよくわからない。
学生さんにたずねると
ボランティアでお手伝いしている大学でも改組がさかん。いつのまにやら入口の看板が変わっている。わたしなど前の前の前の名称に立ち還ってはじめて、ああ、あの学科のことかとようやく用件が済んで建物を出るころにようやく理解できるぐらい。
学科名やコース名の変わるタイミングで受験となり、志望先をきめる際に迷わなかったか、4年生たちにたずねてみた。するとどちらにしても理科や数学の試験の選択教科はほぼ変わりなかったという。高校の志望選択の段階でともかくまずは入れるところ、入れてもらえそうな学科としてさがしたという。
そして入学後に感じたのはもうすこしその学科名やコース名をあらわすような総合的な力をつけられるのかと思っていたという。どれもが選択制ならばニンゲンどうしても楽なほう、単位を取りやすいほうに流れがち。必修にしてもそれで総合力がつくかといえばどうもそうはならないらしい。すると学科の名称どおりに力がつくとは言いきれない。
先生におたずねすると
学科名や何かが変わることにメリット・デメリットをそれぞれお感じになりませんかとたずねてみた。じつは…となかなか興味深いお話を聞けた。大学や学部の上層部から改組の話がさまざまあるという。それに伴う定員削減や配置の転換などけっこう大なたがふるわれる。名前はどちらかというとあとからつけられる。
方針やコンセプトが合致して名称がおのずときまり、そこにヒトが集まってチームをつくりという自然発生的な理想的な形態ができるとはならないらしい。それとなくそんなふうを取り繕うような構想案をお役所に提出するらしい。
高校生にたずねると
大学生たちとおなじように高校生たちにもたずねた。すると返ってきたのは「よくわからない」だった。これがいちばん正直な反応かも。進路選択する際にあまりに難解な学科名・コース名はそこで身につけようとするものがわかりにくくなりそう。つねにわかりやすい目標やアドミッションポリシーなどを同時に掲げねばならなくなる。
おわりに
ここ最近、大学に出入りしているが、あいかわらず高校生同様よくわからない。そこで、生命◯◯コースと言われれば、ああ理系ね、と広くとらえる以上のことをするのをやめた。大学院の名称などさらに難解。もうついていけない。
公立の専門系の高校すらそういったカタカナや耳にしたことのない名称のコースを目にするように。私立の高校は早くからさまざまな名称が。勝手ながら関連するご記事をそれぞれ紹介させていただいた。とても興味深い。
なにもそれらの名称を否定や非難するつもりは毛頭ない。いずれもお考えあってのことだろう。ただしもはや学科名などからそこで学士の資格を得たとしてもそのヒトなりを把握するのはむずかしい時代になりつつある。履歴書などだけで判断するのは危険すぎるし、進路指導の際にいろいろな意味で気をつけようと思った。
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