寝台列車であじわえる:日常とちがう雰囲気とこれからむかうさきへの期待感
はじめに
以前は時間さえ融通がきけば寝台つきの夜行列車で旅をしていた。この独特の雰囲気を体験した結果、わたしはやみつきになるほうだった。
そして見知らぬまちにたどりつく。こちらはこちらでべつの非日常の場。つまり乗りものの体験と旅先での出会い。このふたつをひとつの旅であじわえる。
きょうはこんな話。
列車でむかう
昼間の列車で眠りこまない。うとうとする程度がやっと。いすのせいかな。のりものはちがうが、たしかに遠い国にむかう十数時間のあいだですらエコノミーの席ではほぼ一睡もできない。よくもまあ、何時間もじ~っとできるものだとみずからの身の辛抱におどろくほど。そのかわり家にたどりついたとたんまる1日ねむりこむけど。
そなえつけのねどこがしっかりあればそこはちがう。たとえ列車の進行にともなう音がなりつづけても、からだをゆさぶる振動がつづいてもからだを横たえるスペースさえあれば眠れる。
どうやら長年の経験からわたしはそうらしい。立ったままとかすわった状態とかでねむれるヒトがうらやましい。
会話をするか否か
寝台のボックス席。これはなかなかそのときどきで雰囲気がちがう。わたしはなぜかひとまわりかふたまわりぐらい上の年代の方との相席が多かった気がする。話しかけやすい。このあたりはnoteの記事にした。
なかにははなしがはずみ、持参されたものをつぎつぎにわけていただいたり、話しているとぐうぜん共通の知り合いがいたり。話の内容がふかまり、プライベートな話題も。旅の気やすさだろうか。ふだんのつきあいのあるヒト相手では話さないことまで。
時間のゆったりすぎる独特の雰囲気のおかげかもしれない。
かと思えば窓の外の暗くなった途中駅から乗りあわせた制服すがたの女子高校生たちふたりぐみ。街の子らしいたたずまい。おたがい目礼のみでふたりはそれぞれ上のボックスにあがった。わたしはしごとの準備にもどる。
そのうち上からふたりの話し声。目的地の遊園地を反芻するように話していた。どうやら金曜の放課後の列車で来て、土曜日の一日と日曜日の夕方までおもいっきり遊んでこの帰りの夜行列車。着いたらそのまま学校かな。それにしても元気なこと。
ゼロ泊2日?
強行軍を一度やった。ふつうに勤務して夜行にのり、翌日午前に目的地着。昼食をいそいでかきこみ、午後いちばんで所要先へ。ようやくおわると、いま来た列車でとんぼがえり。夕食の弁当などを買って飛びのり翌日そのまま職場へ。上の高校生たちとあまりかわらないか。さすがにこれはもうやりたくない。
それでも新幹線をつかうよりは効率がいい場合も。そのときしだいでつかいわけていた。そののちいそがしくなりもっぱら航空機を利用。早朝に空港にむかい夜おそくに家にたどりつく。つまり日帰り。あるいは家に帰り着くと1日おいてまたべつの1週間の出張とか。ほとんど休みなくいそがしさには変わりない。むしろからだは夜行列車のように休めない。
それだけ日々ちがう場所を臨機応変に立ちまわれない。いまではアタマがついていかない。若いからできていたのかも。いまならばちがう旅になりそう。
おわりに
さまざま旅してきた。身のまわりを整理しているとふるい手帳がでてきた。当時のスケジュールをみるとあちらこちら出てまわっていた。いそがしかったはずなのに個人的にもいまよりずっとうごいていた。
そういえばちいさな個室のソロを思い出した。寝台列車が豊富なころ4人がけボックス席とはべつに連結されていて何度か利用した。ボックスのB寝台とおなじ料金だった。完全に個室でカギもしまる。カプセルホテルとよく似ているがけっこうひろく感じて、窓の外のけしきもながめられる。だれにもじゃまされたくない、ボックス席は不安という場合にはこちらがいいかも。
書いているとまたちがうかたちで利用したくなった。こんどはゆったりした気分で。
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