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いま吸っている空気のちがいにあらためて思いを寄せるとすれば


はじめに

 18歳までくらした北九州。列車をおりるとあきらかに人工的な「におい」がして、ここちよいものでなかった。そう感じるのはひと息だけでかなしいかなすぐあとはすっかりわすれてしまう。その土地ごとに最初のひと息にはちがいが。ロンドンの降りたった駅はなんと灯油の燃える(ヒーターだろうか)においだったし、その土地の印象をなかば決めかねない。

きょうはそんな話。

くらした街

 当時の八幡はにぎわっていた典型的な企業城下町。わたしはこの街で生まれ18までくらした。黒崎駅にほどちかい地。街でのくらしとはこんなものだとなかば「慣れて」しまった。ぜんそくもちのクラスメイトがいたし、風向きしだいで数百メートル先の大手の工場からのけむりや排気ガスで教室の外がうっすら煙っていた。

いまならば信じられないかもしれないが、工場などからの廃棄物を山のようにあつめた場をふだんの遊び場とし、あやしげなけむりがときおりあがるようすをながめていた。そのたびに吸い慣れない異様なにおいがしたもの。家や学校の大掃除で窓を拭くと、すすやばい煙でぞうきんの色が変わった。

その空気を長年呼吸しつづけた。ヒトビトの多くとその家族はおそらく生業としての職場。そこでのはたらきで給与とひきかえのがまんを強いられたくらしだったにちがいない。上に記したように「慣れ」もあるだろう。ほんの数日の旅行などでそこを離れてもどり、ひと息めを吸うとあきらかに「よそ」とはちがう空気だなとあらためてあきらめに似たきもちに。

かなりきれいになったはずだが

 それ以降は西日本一帯を点々と移り住んだ。土地ごとの空気の特徴を感じた。たまたまのちに生まれ故郷の地をおとずれるとその空気はほかとちがった。薄まったとはいえ人工的なにおいのまま。

この極端さはすみかを点々としてよりはっきりした。そのたびに生まれ故郷の特異性がよりはっきりした。やはり工場地帯ならではにちがいない。その対極として、父の郷里の地は30年ほど前まで一歩足を踏み入れると、あきらかに家畜小屋をおとずれたときとおなじにおいがした。牛、豚、にわとりを飼う農家が多かった。

それが年々薄まり、20年ほどまえにはほぼいなくなり、近ごろはまったくしなくなった。

においは薄まりつつあるが

 そのかわり、どこでもかいだことのあるにおいがしはじめた。洗濯にともなう芳香剤入りの洗剤のにおい。ふとランドリーの近くをとおりすぎるとどの街でもかいだことのあるにおいがする。これもどちらかというとあまり近寄りたくないうちのひとつかも。

その一方で人家の庭先からかおる花々が香るのはここちよい。このちがいはいったん周囲がしろいキャンバスのようにまっさらににおいを感じなくなってこそ、ようやく気づけるもの。淡くはかないこうしたかおりにはなかなか気づけない。

おわりに

 においや香りは記憶とむすびつく。若かりしころを思い起こすと残念ながらこうした形容しがたい異臭のほうがどうしても優先して記憶にのこる。いま住んでいる土地はどんな空気だろう。もはやなじんでしまい客観的に評価できないでいるが。

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