梅雨からこんどは台風の季節がやってくるとこのところ気になること
はじめに
このクニに四季があるところは気に入っている。これまでそれぞれの季節のおだやかなふるまいに風情を感じてきた。もちろん自然はそうなまやさしいものではないのは承知。ときに荒々しさやきびしさを表に出す。だからふだんのここちよさがきわだつ。
ところがどうだろう。このところどの季節にももうすこしやわらかであってほしいと願う。雨風にとげとげしさがめだつ。どこか「まとも」でない。
きょうはそんな話。
梅雨にもいろいろ
ことしの春から夏にかけて住んでいる地域ではほんとうに雨が多かった。雨あがりの澄みきった青空をいとおしく感じるほど。清々しいと思える日はほんの数えるほど。
いつもは草刈りに精を出す時期がずれて最近ようやく草が伸びはじめた。いつもならば春まっただ中あたりから何週かおきに刈ったのに。
もうそろそろと思う間はついにおとずれずじまいで、梅雨に入ってもその傾向のまま。雨の降らない日はごくすくない。
気温も
その一方で春から夏にかけての気温は高かった。何十年か前は4月上旬でも雪がちらつくほどのさむさが訪れたもの。それが気配すらなかった。生活の変化もあるが、もはやこの地ではコートを使う機会がなかなかない。同様に暖房に関しても西日本のここではその時期にストーブをかたづけても困らないほど。
ここ数年はそんな暖冬傾向のまま、ほぼ15℃~20℃前半あたりを行き来する気温の時期をとても長く感じる。これは断熱性のよくなった建物を利用する機会がふえたのもあるだろう。快適にすごせるのはいいのだが、それにも増して外の気候はおだやかとはいえない。
どこか荒々しい
以前ならば風雨・気温ともにここちよい範囲で行き来していた気がする。ごくたまにおとずれる荒々しさには自然のヒトを寄せつけない厳しさはあるが、その時期はほぼ限定され織りこみ済みで余裕をもちつつ準備できてそれから守られる安心感があった。それが季節がめぐるなかでほぼ維持されていた。
ところがどうだろう。これまでそんな災害級の風雨に合ったことのない地域が、あっさりと巻き込まれてしまう状況に。しかも予想外の時期やタイミングなど。これはやはりふつうでない。もはやこの「ふつう」という言葉は気象にはあてはまらない用語になってしまったのか。
おわりに
万事なにごともなく通りすぎてほしい。この気持ちはむかしもいまも変わらない。すでにことしだけでも両親とともに2度家をはなれて避難した。こんな生活が5年ほど。わたしはしごとの都合もあり危険地区に何重にも指定された家をやむなく離れ移り住んだ。
この谷あいにはまだそれなりにヒトが住む。エリア外だが高齢の両親の住む家のまわりにも何人かくらしている。
おだやかな気候にもどってほしい。その願いがとどくのは困難なのか。あまり表立ってそんな言説に気象情報以外で出会わないのはなぜだろう。もはや口にだすのが心理的にはばかられるのか。
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