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ある歌手と間違われたままなかなか信じてもらえなかったこと


はじめに

 他人のそら似ということば。まさかわたしにあてはまろうとは。ひと昔前のこと。ある駅のホームで列車を待っていた。そこにはおなじ目的のヒトビトがちらほら。するとある女性がつつっとわたしのもとへ。いきなり声をかけられた。

きょうはそんな話。

他人のそら似

 その女性は「ちょっとおたずねしますが…。」と低姿勢で近づいてきてわたしに声をかけてきた。「あの、みなみこうせ◯さんでは?」そういえば以前にもべつの人からわたしに対しておなじ名前があがったことが。

その日はうすいベージュのジャケットに丸いめがねをかけていたぐらい。そういえばふだんよりもあたまのまき毛がはね気味ではあったが…。

「いいえ、ちがいますよ。」と笑いながら手を横にあおぎながら当然の返事をした。笑顔がよけいに女性の期待感を増長させてしまったらしい。

なおも「きょうは何のお仕事で来られたのですか?」わたしの返事をよくお聞きでなかったのはまちがいない。なおもそのつもりらしい。「はあ、これから仕事先にむかうのですが。」この返事があいまいに伝わったらしい。

いったんそう思うと

 見知ったなまえが会話に出てきたせいかまわりの数人の方々の視線をかんじた。ありゃ~しまったループにはまったらしい。その女性はこちらをみつめたままさらにたたみかける。「ああ、コンサートですね。それともプライベートのご旅行か何かでおいでですか。ここはのんびりしているでしょう。」いかにもていねいな語り口。

こういうときにかぎって列車は来ない。もはやなんと返事したものか。うたがっていない(いやご自分の最初の判断を一点も疑っていない)もうなるようにしかならない。もう、だれでもいいやとわらってうけながすしかなかった。

ヒトの判断は

 こう思いはじめると、坂道をころがるようにその方向で物事を考えがちなのはわたしとておなじ。この女性をどうこういうつもりはない。自分でも、こんなかっこうをすればたしかにぱっと見ならばそう思われてもしかたがない(こうせ◯さん、すみません)。

いったんこうと思えば思考はその方向でつきすすみ、それをうながす判断しか出てこない。もはや無限ループ。それを打ち消す根拠は五感にかんじられないもの。ヒトはそういうもの。それはむしろ最初の判断こそが正しいとの思い込みをくつがえすことのむずかしさをあらわす。

それにしても

 そのあと気のおけない友人に「どんなときにこうせ◯さんに似て見えるかな?」たずねてみた。するとふとなにげない横顔がそう見えるときがある。と笑いながら答えてくれた。

へえ~そうなんだとこちらも自分では気づいていない側面に妙に納得した。ちょっとしたしぐさやなにかにそれが表出するらしい。

おわりに

 はたしてわたしは駅のホームでいったいどんなようすだったのだろう。それにくわえて他者は見てないようでこちらは見られているんだなと思った。わたしの自意識があまりにうすいせいだろうか。気にならないでいたのだが。


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