米不足の年の経験からやはり食べものに関してはあらためてより確固としたまかなえる体制を築くほうが…
(2024.6.6加筆あり)
はじめに
1993年の冷夏による米不足は深刻だった。例年とくらべて作況指数は74といつもの年の4分3の米をつくるのがやっと。地方によってはもっと作れていない。むかしだったらそれこそききんになってもおかしくないほど。
経験した身にはそれ以上の食糧不足がいつなんどきおとずれてもおかしくないと思える。早いもので31年がすぎた。このところ気象が尋常でないし、この年のようにいつ大規模な火山噴火の影響で冷夏になるともかぎらない。それ相応に不足を未然に防ぐ対処のうごきがあってよさそうだが現実は…。
きょうはそんな話。
いつもの年ならば
ちょうどこの時期の気温のまま夏がすぎていくことを想像するとわかりやすい。30℃を上まわる日がほとんどない、そんなふうに日照が不足して夏に旺盛な生育をみせる稲が育たず主食の米が実らなくなる。まさに93年はそんな夏だった。
政府は米を備蓄していたがそれをうわまわる不足でもはや米は店にない。米が日を追って枯渇しはじめてついに流通が滞り、備蓄が底をつきタイ米などを緊急輸入してしのいだ。いつもの炊飯器で炊くとポソポソで香りもいまひとつの細長い米を数か月のあいだ口にした。
米をさがす
ちょうどいまごろから夏のあいだのことだった。職場の昼休み時間に街中の米屋やスーパーを歩きまわり米をさがした。どこをさがしてももはや見当たらない。報道だけでなくついに現実に。かろうじて入手できたタイ米をだいじにかかえて家に持ち帰る。
そんな生活が数か月。ようやく秋口になり新米がとれはじめ、口にできたときのうれしさは格別だった。このことはわすれない。
「米をさがしまわる」ことが現実におこった。家族に食べさせるためにはそれしかなかった。パンがあるじゃないかとか言われそう。もちろん可能なかぎりそうしたが、それはながくはつづかない。やはりこのクニのニンゲン。米でないとうごけない。つくづく米のありがたさを知ることになった。
代替するものさえ…
今後も気象は乱れ気味だろう。93年はそのまえの大規模な火山噴火にともなう地球規模での温度低下が主因とされている。その規模の噴火はいつ起こるともかぎらない。むしろそれを経験したひとりとしてやるべきことはありそう。
当時はまだやさいづくりにたずさわっていなかった。こうした「米不足になりそうだ」という傾向は夏のはじめにはあきらかになる。そして夏のさなかには確定的に。ところがそんな時期にはいちばん代替となりそうなサツマイモ類(じゃがいもを除く)などはつくるタイミングではない。急につくりはじめてすぐたべられるわけではない。
もはやそんな時期にあわててつくりはじめてもふつうはいもにならない。もちろん技術や燃料をつかえばできるかもしれないが。クニじゅうが食糧不足にくるしいさなかにエネルギーをそこにまわせるかどうか。もはやまともにつくれる人材はこのクニではごくかぎられている。これはのちにやさいをつくりはじめた理由のひとつでもあった(中山間地で米はつくれない)。
輸入品はどうか
米がダメならば小麦やなにかを輸入すればいいじゃないかという発想になりそう。でもどうだろう。すでにそれらはこのクニよりも経済力のある国々に買い負けているのではないか。とくに食糧がひっぱくする状況では足もとをみられるのがおちで、おそらく高い買い物になりそう。例をあげるとすこしまえの天然ガスがそうだった。
食糧(食料)の安全保障こそ最低限やってこそクニとしての体裁をたもつのに必定だと思うが...。将来への不安感の一因ともいえそう。気候だけでなくそれ以外の要因も加わり国際情勢はどう変化するかわからない混沌とした状況。もっとも根本のはずの口にはいるものについての議論が聞こえてこない。
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あとがき
今回の記事を書いたあと知りましたが、こんな考えの学者の方もいるようです。
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