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クーラーのない頃と場所でどのように過ごしていたか思い起こしてみる
はじめに
このところ昼間の車内は暑い。ところが朝の通勤時はさむい。あさの学習サポートでは暖房。昼にべつの場所へ車で移動するには上着をぬいで冷房。なんともいそがしい。
車の窓を開ければよさそうだが、このところ黄砂やPMなどの粉塵が舞う。車内の掃除をかんがえると開けずにがまんするか、あたまがぼうっとするほどならばやむなく空調をいれる。
きょうはそんな話。
おおきな日較差
これから梅雨本番をむかえる。体感だけでなく実際に気温と湿度が高くどうしようもない。そんなときにはクーラーのある場所に移動してそこでやむなく仕事をする。はたしてクーラーのない頃はどうしていたかなあ。
そういえばみずからのnote記事にむかし話が多くなってきたのは、あきらかに年をかさねているせいか。それでもやっぱりいまとむかしをくらべてしまう。
むかし語りをするのも過去の経験やくふう(もちろん当時のおとなの方々)を活かせるかもしれないから。ひるの暑さで思考がすぐに飛んでしまい関係ないほうへむかいがち。
それはさておき、わたしのポンコツ頭はなおさら稼働しないが、思い出せる範囲で記す。なにかしらのヒントになれば…。
そもそも
わたしは西日本を転々としてきた。生まれてこのかたいずれも日本の中央(どこなんだろう)よりも西がわにいる。いちばん東で大阪の茨木市。したがって日本でもわりと温暖なエリア。
これらの場所の多くはちょっと南にむかうと、むかしは「暖帯」とよばれていたようだ。日本のフェーン現象などの起こりやすい地域をのぞけば、わりとすごしやすい。その点をあたまに入れたうえで思い出そう。
あたたかい時季というよりさむくない期間が長い。暑い期間もそれなりに長い。そのあいだをどうすごしてきたか。
風があるかないか
学齢の頃はある企業の社宅の4階建てアパートの3階。そこにクーラーはなかった。つけてもよかったのだろうがほぼやりすごせた。
休日の昼間でたまたま家にいる日など、いちばん暑い14時ごろはふだんは開けない台所のベランダがわとびらまで、すべての窓を全開にして風をとりいれた。
南北の窓を開け放すととくに午前中は海よりの北の方向から、夕方から夜にかけては山すそがわの南から風が入ってきた。風がへやをすみずみまでとおりぬける。そこで外から帰るとまずは窓を開けるのが日課に。
開けたままでくらせたというのは防犯上からもアパートの利点。階段の上り下りはあるが3階での生活はべんりで恵まれており、わが家への出入りがかぎひとつで済んだ。
網戸をしつらえてとりつけていたのはよかった。全開した窓から風をいれつつ夏場のやっかいな蚊の侵入をふせげた。
輻射熱のちがい
おなじアパートでも最上階の4階の住人の方は「暑い、暑い。」とおっしゃっていた。昼間の太陽に完璧に照らされた屋上。その直下の4階の天井は夜間に輻射熱の放散はじゅうぶんでない。この点でわたしの家族の住んでいた3階とではおおちがい。あきらかに暑さをしのぐという点ではめぐまれていた。
これは大阪でのくらし(ここもアパート住まい)も同様で、やはり日中、夜間とも風のよくとおる部屋(5階建ての3階)だった。そういえばここでは冬のあいだにじゅうぶん花を咲かせたシクラメンの鉢が風とおしとすずしさのおかげで夏を越せて、葉をひろげ冬にふたたび花をつけたほど。
こうしてふりかえると風とおしと輻射熱をさけることは重要だったかもしれない。その点、このところの家づくりでよく採用されている夏場でも窓を閉めて過ごすことの多い断熱のつくりの家とはことなっている。どちらがいいとはここではいいきれない。
わかさでしのげた?
それにくわえてなにより家族みんなが若かった。すくなくともわたし自身、暑さへ順応するのがいまよりもずっとはやかったろうし、汗をかくことをいとわなかったのだろう。
運動部に所属しひるまはたいてい部活の練習でそもそも暑さを意識せずにうごいていた。トレーニングのあいまの休憩時間にひんやりしたコンクリートの校舎の床でほってたからだをさましたのをわすれない。
よく三角ベースの野球を友人たちとやっていたが、キャッチャーのうしろにひろがる大木の木かげは何よりの居場所。家の外でこんなにきもちよくすごせる場所はない。木かげはそれほどあつさをわすれさせてくれた。
おわりに
昨今の暑さはどうだろう。日かげですらもわっとするほどで夜も気温が高いまま。もちろんこれに加齢の要素がくわわる。それでも基本的に暑さのグレードがちがうようだ。これをクーラーなしでからだをうごかせというのは過酷。あきらかにむかしのなつとのちがいをかんじる。
6年ほど農業をつうじて従事(炎天下はやすむ)はしたが、炎天下でからだをうごかしはたらく方々にほんとうに頭が下がる。
玄関先の縁台やヘチマ棚の下でくつろぐといったようすを見なくなった。昼下がりから、くれなずむ一歩手前まで。そうした光景をこのあたりではみなくなった。
なにもむかしはよかったとかいうつもりはない。いまはいまのくらし方がある。この当面の暑さをどうにかできるものでないのはたしか。その点を考慮したとして経験をつうじて、いまも使えそうな日常の苦にならない暑さの避け方やくふうなどに関してはひろげていきたい。
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