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無意識で紙をつかわない・もらわないで情報のやりとりになれていく
はじめに
ズボラな性格。リサイクルのゴミ出しにむかうのさえわずらわしい。できればゴミを出す回数をへらせないか、究極は出さずにすませないか。
意外とそれは環境を維持していくうえでは理にかなっているかもしれない。紙と情報をめぐるわたしなりの行動。きょうはそんな話。
古いノートを消費したあとは
紙をなるべくつかわない。そんな行動にきりかえていこうと思う。なにもミニマリストとしてめざめたわけではない。その理由はリサイクルのゴミ出し。とくに古紙はリサイクルのためにステーションに持ち運ばねばならない。重い。したがってできることならば紙を使わずにすませたい。
ここまでくると究極のズボラかもしれない。そう、わたしは広い宮殿のようなすまいよりも4畳半ひと間の生活を夢みている。暖房なんかすぐにあたたまるはずだし、なによりへやでうごかなくても何にでも手がとどく。ああ、学生時代の4畳半がなつかしい。
さて、紙。当面、ストックの紙をつかうのはいたしかたない。古いノート。いまだに3,40年前に購入したのこり。ノートをつかいのこすと書いた部分をペリペリととりのぞき、白いぶぶんをそのままノートとしてつかう。
そのため高校時代には中学のノートののこりを、そして大学生のころは高校ののこり、そして現在はいちばんノートにお世話になった大学のころのノートの余白をつかいつづけていまにいたる。ようやくストックがへりはじめたなと思うころあいに、「これつかわない?」と家族や知りあいがノートをくれる。ふたたびストックは増加に転じ、いつまでもなくならない。
以来3,40年そんな生活がつづきノートを買った経験がない。したがって文具店で最近どんなノートを売っているのか知らない。
ほかの紙類
もちろんほかでも紙はふえてしまう。とくに行政からの情報って…。せっかく新聞をやめたのにいまだに広報誌が郵便受けに入る。こればかりは紙の情報にたよる方がいるのでいたしかたないのかもしれない。すでにわが家では行政の情報はネット由来からの入手がほとんど。求める方だけに郵送などのほうがすでに安くつくかもしれない。
生協の宅配の注文用のカタログを毎週いただく。これも再生紙とはいえ使っていない。そのまま翌週にほかの卵パックの殻や牛乳パックなどとともにおわたしする。もっぱらネット注文。いくたびか紙はいらないとつたえるが、丁重に説明され置いていかれる。
過渡期なんだろうし、しばらくたえなければならないのかもしれない。たしかにインターネットを使えない立場では紙情報でのやりとりや電話にたよるしかないかも。
情報がのっていない紙に話はずれてしまうが、テッシュやロールペーパーをほぼつかわない。トイレはちり紙。こちらのほうがべんりと知った。しかもやすい。一枚ずつとりやすくサイズ感ややわらかさがいい。テッシュは箱をガソリンスタンドでいただく。こちらはほかのヒトにつかってもらう。
いただきもののテッシュの山。まわりにつかってもらいようやくちいさくなってきた。そのスペースをこんどは車の整備でおせわになる店からいただくキッチンペーパー(もっぱらてんぷらのしきものとして)が占拠しつつある。これも1年で1ロールぐらいしかつかわないので場所をとりはじめている。
キッチンではさらしとガーゼをふきんとしてせんたくしつつ、くりかえしつかう。このほうがべんり。あぶらよごれなどは着古した布をちいさく切ってつかっている(このストックもせんたくしつづけるせいかなかなかなくならない)…。
話が紙にのっかる情報から大幅にずれてしまった。
おわりに
いったん紙に情報をのせてつかう生活をつづけていると湯水のようにつかってしまうかも。なにも紙に出力せずともすませられる用途は多い。
スマホやPCで読んだあとは必要ならば保存すればいいし、確認だけならばその場で消去してもいい。伝票も電子保存にむかう時代。そろそろ紙をはなれていい。
紙は木からつくられる。再生紙として一部はリサイクルされているにせよ、浪費だけはさけたい。
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