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中学校の公民・高校で必修のかたちで近い将来、納付しはじめる年金や社会保険の内容をもうすこし入れてよいのでは


はじめに


 中3生にほかの教科とともに社会の公民をいっしょに学習しサポートしている。そのなかで年金や社会保険の制度についてふれる。ほんとうに瞬間でさらりとこういうものがあると教科書にはそれぞれほんの数行で紹介されているだけ。

これでこのあと高校に進んで政経や公共を選択するごく一部の生徒をのぞき、この内容を学校で教わることはないにひとしい。当事者になるまでみずから正確な情報にふれる機会はなかなかないのが実情。国民もれなくかかわる内容にもかかわらず。

きょうはそんな話。

学習サポートで

 公民はかけあしですすむ。中3生はあと数か月後に入試。したがってほとんどの教科は終盤もしくはまとめ段階で受験のかまえに入っている。すでに社会科の公民についてもほとんど主要なところを終えて、入試に慣れるために過去問などを解く段階にはいっている。

ところで公民の内容は教科書の改定のたびに変わるかとおもいきや、それほど大きく変化していない。もちろん衆議院の定数の記述などは改められ、あらたな権利の紹介などの記載はある。それでも数十年来それほど変わらない個所がある。

それは社会保険の制度について。法律や制度が変わればそれに連動して教科書の内容も改められるわけだから、それほどこれらの制度が本質的に変化していないことになる。

このままでいいのか

 最近の年金や社会保険に関するニュースや政治の内容がさかんに報道される。そのわりに世のヒトビトのこれらに関する理解は正直なところあまりすすまない。

それもそのはずで義務教育段階で基本的なことを知る機会がほんとうにすくないし、そののち更新・維持できない。知っておいたほうが世論の形成に直結するうえ、よい考えや方式もうまれやすいはず。そのうえで議論が活発にされていい方向にすすめばなおさらいい。

ところが学ぶタイミングがいまひとつ。中3の受験の近づくこの時期にほんのさらりと語句が出てくるにすぎない。おそらく授業で数分から十数分間だけかもしれない。それでおそらく高校で公共や政経を履修しないかぎり、一生涯学校で教わることはほぼないに等しい。そのまま忘却のかなたへ…。

はたらきはじめて

 なかなか議論は深まらないままいつのまにかネジ曲がり、あまり国民の望む方向と実際の制度は一致しないものへと変化してしまいがち。もちろん支障が生じるとつぎはぎがあてられ改定される。そのたびに複雑奇っ怪になるばかりで当事者になり、はじめてこれほど給与からひかれるのか、こんなに制度は複雑で難解なのかとあぜんとするのがふつう。

どうしてこうなってしまうのか。世論が形成され、本来こうあってほしいという方向にすすんでいきにくいのはなぜか。読み書きなみにこの部分で教育のはたす役割はじつは大きいのではないか。

やはり教科書が

 中学校で習ったことの基本の部分はのちに社会出てほぼそのまま実際に活用するものがなかにはある。社会科のとくに公民に類する単元はなおさらそう。むしろ他の教科科目とくらべてもこの科目の役割は大きい。

できれば高校でもひきつづいて生徒たちが履修できるようになれば理想的。医療・年金・健康・介護などの制度について知り、20歳になれば国民年金を納付すること、日ごろから社会保険のお世話になり恩恵を受けられること、相互に扶助しあうことを学校で習い確実に理解できれば。

おわりに

 公民の内容はなかなか社会に出てからは正確な情報に基づいて一から学習する機会はほぼないにひとしい。もちろんそれをどこで教われるかとなるとあたまにうかんでこない。しかもおおかたの国民はいったん関心が向かわないかぎり積極的に学ぶ姿勢にはなれないのがふつう。わたしはまちがいなくそうだが、自分から知らなくちゃという態度になるほうが稀かも。

つまり知っていて当然ということをいつのまにか自己責任でどこからか仕入れて身につけよとのことらしい。学校のようにしぶしぶではあっても先生から教われる機会は社会人にはそれほどない。すでにタイミングとしてはおそいし、やはり10代のうちに身につけたいもののひとつなのはたしか。


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