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こんなにつづくとは思わなかった:noteを3年5か月書き連ねて変わったこと


はじめに

 はやいものでnoteを知り、ここに日々の思いを記そうとはじめてから早いもので3年と5か月。最初の1年弱でいまもおさまらない戦乱がはじまり書く気になれずに4か月ほどお休み。そののちの2年3ヶ月にわたりほぼ毎日欠かさず記してきた。なにごともつづけると変化を生じる。

きょうはそんな話。

この機会に

 これまでさまざまな個人ブログなどを立ち上げてきた。noteをはじめるまえの十数年まえにはすでにそうした「書くべき場」になにやら記してきた。

おなじくはじめたのがライティング。副業として興味本位ではじめた。どんな記事を書いていたのか記憶はおぼろげ。原稿用紙数枚程度の短編の依頼で月に10~20編ほど。1文字で数円。どれくらいしごとを受けるかどうか差配できるうちにいつのまにかやめてしまった。

依頼主からアドバイス

 ライティングは審査を受けてパスした「書き手」(ここではわたしのこと)の意思でいくつかリストアップされた表題から選ぶ方式。それほど書きたいものを書けるわけではない。

もとから書きたい題目の依頼がたまたまあったとしても、依頼主の希望に応じたしばりにしたがう文にせざるを得ない。これでは身を削るばかりであじけないし、なにか自分のエネルギーを減らしつづけるようで多少の収入にはなってもおもしろくなくなった。

それでも依頼主から「整った」文になるようさまざまな指示していただくうちに、それに的確に応じる作業でずいぶんマシな文にできたのはさいわい。

書きたいものを

 やはり自由に記したい。しかもおだやかで平和な反応だけがあるいごこちのよさがほしい。そう願って見つけたのがnote。ほんとうにここは落ち着いてすごせる。

なるべく世間様をざわつかせないで心静かなまま居つづけたいと思う。そのためことばづかいなどに注意を払う。日ごろ行き届かないみずからを省みつつ、数日おいて文章に手を入れたうえで投稿。

変わったといえば

 noteをつづけて変わったひとつめは、あたまに思い浮ぶながれのまま入力できるようになれたこと。これがいちばんかも。論理的に結論やおちのある文にしようなどとははなから思っていない。そこはさらに先にとっておこう。

これぐらいがかえってつづけるにはいいのかも。無理にまとめようとか尻切れになっても気にしない。

毎日のゴールの位置

 ふたつめは、だらだらとした文にしないこと。テキスト画面のデフォルトのA4縦の行末の印が見えると「おわりに」のみだしをつける。このあたりで1,200字。原稿用紙で3枚。このくらいがひといきで読みやすいと知る。つぎの記事を読みたくなる長さかも。テーマをあたまに浮べてつらつらと記すと、ひとつの内容を言い切れる長さ。

つづけて得た収穫はそのふたつは大きい要素。ヒトと話すうえでひと単位分といえそう。

おわりに

 もうひとつだけちいさな収穫が、修正すべき箇所が見えやすくなったこと。以前は平気でそのまま投稿していたのだが、下書きして数日置き、そのあと手をいれて投稿する手順をかならず経るように。これでずいぶん他人の文の修正とみなせて読みやすくなった。

研究パートのしごとでは学生さんから記した文に手をいれてほしいという依頼がある。校正するうえでnoteの継続が役立っている。


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