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どこに住むか・なにをたべるか:えらべる機会がようやくおとずれたはずなのに


はじめに

 ようやくひっこせた。と同時につぎを考えるときがはじまる。いよいよ数年後にはどこに身を落ち着けるかきめることに。外国でもかまわないが、当面は国内で。あたたかい地方でくらしてきたことが大きい。やっぱり寒い土地は…とか、気温がいつも高いのも…ときりがない。

きょうはそんな話。


お読みいただき、しかもスキをいただきましてありがとうございます。みなさまのおかげです。


しばりを解いてみると

 どこに住んでもかまわない。経済的に余裕はないけれどじぶんでえらんでいい。この2年あまりの成果しだい。もしその立場に身をおくとなると、なにを基準にさがそうか。そのときが日々ちかづいている。ちょうどそんなころあい。

きのう移り住んだばかりなのに?それはそうだがこれもつぎのうごきのための途中経過にすぎない。まずは賃貸の新居に慣れること。そして街の生活になじむことからはじめよう。するとその反映で選択肢はおのずとひろがるはず。

若いときをふりかえる。うまれてこのかた郊外➡都会の団地➡地方の街➡中山間地➡都会の団地➡中山間地。そして今回は地方の街へと越してきた。

さらにしごとでそれら以外の土地をめぐった。40都道府県ほど。濃淡はあるがいろいろたずねた結果、思いあたることも。それは郊外がどこも似てきたこと。たいていおなじみの看板と駐車場をかまえる大手のチェーン店のたちならぶ大通りがあり、ファミレスの筋をはいるとアパートやマンション。コンビニなどなど。どこもそんなところにいきあたる。都会と地方の郊外でもそんなに変わらない。

目かくししてくるまからはなれてみわたしてもどこにいるのかわからないかもしれない。とくにあらたにひらけた場所はそんなふんいきのところが多い。どこも変わらない。くるまでの生活を前提につくられたのか。

えらぶには

 さて話をもとにもどそう。どこかをえらぶか。するとやっぱり山や川、海があるかになる。そんなにひろいクニではないが南北にほそながい。どこをえらんでもまわりは海。そして山がせまる。

昨今は激しさをました自然災害がさまざまある。一見するとたいらですみやすそうなところが毎年のようにそうした災害にみまわれてしまう。今回、わたしが家を手放した最大の理由といっていい。

まずは防災マップの災害の網かけのすくなそうなエリアをさがす。もはやそこで半分以上えらべなくなる。いい物件だな、掘出しものかもと思ったらまずはどんな場所かマップでさぐる。ああ、やっぱりそうか。川のほとりだったり、そばに小山があり濃い色の網かけのなかだったり。これじゃあ、これまでおびえながらくらしていたまえの家と変わりない。

引き算でさがしてしまうと

 どうしてもこういうえらびかたをすると極端にえらべるエリアがしぼられてしまう。大手の情報サイトの検索結果でほとんどゼロにちかいところすらあった。えらびようがない。より好みせずに築年数を大はばにひろげてすらそう。

この見方はまさにわが身にそのままはねかえる。つまりはわたしが手放した家もおそらく無価値どころかマイナスの評価になりかねない。その理由はこの集落で防災マップの網かけがもっともかさなる家だということ。そこにこれまで平然とくらしたわたしはよほどの変わりものかもしれない。ここをえらんで住もうというのははなはだむずかしい。

おわりに

 どこをえらんでもいい。逆にどこならば住めそうか。もはやこれは究極の選択かもしれない。どこならばよりましなのか、いかほどで妥協するか。こんな選択になりそう。これはなにも住む場所だけでない。食べるものも着るものもおなじかもしれない。

いままで住んでいた家よりもよりリスクを負うことだけはさけよう。そのつもりでえらぶことになりそう。


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