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3年あまりほぼ毎日noteに1200字ほど投稿しつづけて思うこと


はじめに

 日常とほんのちょっとちがうこと、逆にほぼ日々おなじことをつづけるからこその気づき、その両方があるのかもしれないなと思う。

まずはこの3年あまりみずからの身辺がわりとおだやかだったことに感謝するとともに、世のなかが平穏であることをねがう。

きょうはそんな話。

何記事だろう

 noteの、クリエイターページ/月別と押すと、西暦と投稿した記事数の一覧表にたどりつける。2022年の6月以降、原稿用紙3枚ほど、1200字あまりをほぼ毎日投稿。われながらよくつづいたもの。そのあいだ住み家を変えたり、家族の急病で徹夜したりなどなにやかやあったようだがのりこえて、投稿。裏返すとnoteの存在を日々わすれずにすごしている。

それ以前をふくめるとほぼ1000記事。このあいだの日々をほぼコンスタントに過ごせたおかげ。おしなべて最低限じぶんのための数十分間を毎日確保できていたといえる。

何を書こう

 毎日となると表題がすぐ浮かぶときと、それなりに数十秒ほどかかるときがある。毎日をすごしているとすくなからず昨日までとはちがうさまざまが浮かんでくる。そのうちあまりにあたりまえだが、プライバシーや関係する方々のこと、身辺を危うくすることは書けないのでそれ以外から。

そうなると、記事にできるのはさまつなことになりやすい。ほんのささいなことでも見逃さずに記事にしようと思う。こんな内容をどなたが興味をもって読まれるのだろうとは思わない。なにしろ大部分は自分のためのメモがわり、備忘録として書き残しておこうという動機から。

読み返すと

 以前記したものを読み返す。それは読み手の方からスキやコメントをいただいた機会が多い。コメントへのお礼やお返事をするさいに、もとの記事に何を書いていたかなとじぶんの記したものを読み返してから返答する。

読み返すとわれながらこれが意外と興味ぶかい。こんなことを考えていたのかとか、いまならばこうは書けないかも、とその当時のそれなりの「健闘」をたたえたくなる。意外とはげまされ元気がもらえるもの。

おなじような日々でも

 もうひとつ言えそう。おなじような日々のくりかえしのようでもけっこうさまざまかんがえている。そんなに変化がないようでもけっこう意識することや考えかたはいつのまにか変化していくもの。

こうして書き残すからこそその変遷にも気づけるし、もしこれがなにもなければそれに気づけないままで、どうどうめぐりしそう。みずからをとおしてこうして観察するだけでもやはりニンゲンという存在はなかなかおもしろい。

おわりに

 けっこうnoteに関しては機会あるごとにこうしてふりかえる。note以前にもブログやホームページをもっていた。そのままのこしているものをカウントすると、べつに1000以上のページや記事としてネット上に置いている。

それらを消さずに残しているのもやはり、それなりにじぶんにとって有用だし、上に書いたように読みかえすたびに元気がもらえ、よしがんばろうという気になるからふしぎ。これは写真のアルバムにも共通する。はたしてこれって何なのだろう。ふしぎだ。


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