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夫源病、妻源病(夫婦の肖像)

◆ドラマ定年オヤジ改造計画(NHK)を見て
夫源病とは、が原因で妻がストレスを感じ、身心に不調が生じてしまう病気です。
まさに、家庭の中で起きている課題だとおもった。夫が原因もあれば、妻が原因の家もあろう。また親子関係やその他の生活をともにする中で起きるているのだろう。設定は定年後になっているが、それも関係なく起きてることだろう。 すべては、受ける側と与える側があるようになりますが、受ける側は罪だとし、与える側は良かれとしていること。しかしストレスでしかないこと。今回は子育て、孫育てを中心に描かれていますが、まぎれもなく家事の問題は大きい。とくに食事は、後でまとめてとはいかないものだから。

◆振り返ってみて
法律ではなく、人間関係の悩みは尽きない。ひとつ大きいのは、定年オヤジは、最後までサラリーマンを添い遂げていること。いわゆる定年まで勤め上げたということは、何度も危機を乗り越え40年近くもあれば何もないわけがない。出世は後輩に抜かれたり、デジタル社会への対応だって大変だったと思う。逆に出世がうまくいけばいったで、ねたまれたり、お局様など考えただけでもいくらも想像がつく。 そういう危機を乗り越えて、サラリーマンを勤め上げたなら、出来るはず。
この危機回避やってみるしかないのだから。家事とりわけ私は料理と思う。

◆あなたは出来る
手取り足取り新入社員時代先輩は教えてくれただろうか?そうではなかったでしょう。精一杯先回りして考え、試行錯誤して、グループに尽くしたでしょ。うまく行ったこともあれば、失敗したこともあったでしょ。そうやって、成長していき、後輩が入ってくれば、抜かれないようにがんばったでしょう。踏ん張ったでしょう。そして少し上のステージにあがったでしょう。料理も家事も同じなんです。ただ何も考えずに、言われたことしかできない後輩を残念だなぁと思ったものでしょう。レシピはね。レシピを作った人が確認するために見ながら作るんですよ。あなたは、レシピを作ってないですよね。そのレシピを自分の参考にして、自由に作っていいんですよ。大事なところをメモしておいて覚えないといけない箇所をキチンと整理すればそれでいいのです。 

◆妻の負担
さて、この物語で、主人公の妻が海外旅行に行くことになった、1週間分の総菜を小分けにして冷蔵庫に置いて行ってくれる。娘がここまでしないと、女は、出かけられないのか?とそれが現実なんだとというセリフ。一週間の海外旅行でもなく、数日家を空けるのでさえ、たぶんそうだろうなと思う。せっかくのチャンスですから、お料理をやるいい機会です。やってみましょうよ。普段からハードルが高いと思わないように、慣れておくようにしておくことも大切ですね。家庭内で自立することです。二人目が生まれたときだって、上の子と二人で家事掃除乗り切ったじゃありませんか。忘れてしまってただけじゃないですか。実家に甘えて母親に頼ったなら、今度は乗り越えよう!まだ間に合うならそうしよう。まずは、そこが大事なのだ。逆もありですよね。

◆妻源病
妻源病だってある。結局夫婦の問題は、相対的であり、シーソーゲームです。妻というかカミサンというか、言い方はいくらもあるだろうが、上記の夫が外で仕事をするというが、当然女性も正社員、アルバイト、パートをしてない方は無いと思う時代同じ苦労は絶対あるのだし、お金をいただけない家族や親族、地域、子育ての事柄などの仕事、これはとてつもなく大変なことだし、こころを使うものです。いい奥さんだったから背負って来てきつく当たってきたのではないか。それも自分中心。結局大変なことは、思い合っていないのだということ。

◆愛、夫婦。家族。
もともと、人として、足りないから他人を愛し、夫婦になったという考えもあると思いませんか。素敵だと感じるのは、自分に足りない部分じゃないですか?相手に求めてしまう。足りない自分があるにもかかわらず、後まわしにする考え方はずっと付いてきます。結局は、足りないところは自分で補修しないといけない、だから怒ってしまったりする。

無償の愛ができるのは神様だけなんです。慈愛があふれているのは、仏様だけです。親子にお魚をさばく講座がありました。お子さんが「お魚がかわいそう」と言う。指導しながら、その子の手が停まってしまいました。まさしく食べるということは、命の講座です。自分が生きるために別の命をいただくという行為は、生き物すべてに共通のことです。肉食のライオンやハイエナだけが食べて、シマウマやシカだけが可哀想なのではありません。大量の草を食むし、草花も命なのです。お魚さんももっと小さな生き物たちを取って生きてます。その小さな生き物たちにとって神様と喜ばれる漁師さんではないでしょうか。大切なのは、大事にいただく、無駄にしない。欲張らない。「いただきます」と手を合わせること。そのためにおいしく作ること。
子どものその素直な感情は、優しく感受性が豊でいいのです。そのお子さんもしっかり食べて帰って行かれました。だからすぐに判断しないで、お相手は、子どもっぽい人ですよね。

お魚さんのためにも。家族のためにも。自分の主張は、エゴと隣り合わせ。相手の主張は、的外れに思います。愛という魔法が効いている間は、痘痕(あばた)も靨(えくぼ)なのですが、魔法が切れると靨(えくぼ)も痘痕(あばた)になってしまう。話し合う余裕がなくなってしまうでしょう。
夫婦であっても、兄弟でも親子でも、距離間って大切なんだなぁとつくづく思います。話あって解決するしかないといいますが、こじれていたら話し合う関係さえも壊れているはずだと、私は思います。離婚した夫婦でも、子どもの親としては関係が続くように、新たな関係を構築するよう出来るようにすれば、少なくとも恨み合う関係だけはしなくて済むのじゃないかしらね。そうならないように、少しでも早く気づけば、お互いの距離をつくり、自分の足りない部分に、自分で取り組むようにすることは、自分を大切にすることでもあり、幸せに近づくこと。みんな自分のこころを大事にしたいものです。

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