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はじめの一歩?

何かやりたいなぁ。はじめたいなぁ。
心得とか心がけといいましょうか、普通は聞き流してしまう部分かもしれません。
そんなこと考えると面倒くさいじゃん。と思うなら、まだ今じゃないのよ。
「それそれ!」と思うものきっとありますよ。すぐちかくにね。
何を学ぼうとして来られたのか、その動機づけはもっとも大切だということです。
だけど、自分では気づかなかったり、分かりづらいものです。
しっかりと自分のなかにあるものなのに、です。だから、他人といっしょじゃなくていいんですよ。最高のタイミングは自分の中にあります。
他人に左右されない「そのときの自分軸」でいいんです。

たとえば、塾に通おうとしてる人は、もうすぐ受験だったり、資格などをパスするのが目的の方もいらっしゃるでしょう。語学スクールでは日常会話ができるようになりたいとか、検定に合格したいとか、お花やお茶などはその流儀のしきたりのお免状などを得るためなどさまざまです。

なにかしたいなぁと気持ちがあまりないのに、他人から「あなたのためになるスキルアップ」とか「履歴書に書ける」などと言われて。通い始める。なんてこともあるかもしれませんね。
でも、なんとなく始めて成り立つものって、あると思いますか?
なんとなく、ダイエット始めて、成功してます。なんとなく禁煙し始めてまだ続いています。
そんなふうには、私はできないと思います。実際外国語でもなんとなくで習得出来る言語ってないでしょう。次のステップ次のステップとキリがない。私の経験ではそう思います。
 病院の先生から3か月で2キロくらい落としましょう。とか言われてしまったら、
ダイエットしないと仕方ないですよね。だけど、4か月後に1.5キロしか減ってない。そんな結果にもしなったら、、、結構真剣に取り組んできたのに。私は思う、
そうなら今から1か月後まで伸ばしていいじゃない。
この目標に対して期日を設定するやり方私はとても嫌いです。
目的は自分の体に対して、2キロ落とすことですから4か月後が5か月後になっても問題ないと思うからです。続けるモチベーションの方が何十倍も大切なことだからです。
だって、医者に言われるくらいだと、すでに病気かまたは、危険だという
ことですよ。期日を決めて取り組んだものって、その日にジャッジがくだされるみたいなテレビ作り過ぎですよ。逆に数日まえに達成できてもいいじゃない。関係ありません。
そのダイエットをする人のことを何よりも考えているのならなおのこと
です。

 どんな勉強でも自分に必要なことであればあるほど、結局その後の学びはずっと続いていくはずです。学びはいつも切りがないんです。
今あなたの中にある、ちょっとした関心ごと。それは、外からの刺激というより好きだなぁ。いいなぁと思う内にあるあったかい感情から来るもの。
これこそ動機づけとして素晴らしいと思います。

その資格を仕事に活用されたいと考えるなら、尚のことそうですよね。
仕事に関係している学びなら一生続ける覚悟を持ってください。ずーっと続けても嫌じゃないなぁ。と思えるものです。

学びたい資格などが決まっていているなら、実は何かを学ぼうとしている目的そのものは、始まりでしかない。資格を取得して一切そのことに関わらないのであれば、資格を持つ資格があるのでしょうか、
関わっていくなら絶対に終わりはないということです。弁護士さんもお医者さんもそうでしょ。その資格に対する勉強が、陸上の100m走のようなのでは、とても長く走れません。ゆっくりでいい、しっかり長く歩んでいこう、医療の勉強きらいじゃないし。ということです。
また、頭を柔らかく考えることも重要です。順応させていくことです。
やはり全力疾走では、周りの景色さえまったく分かりませんから。
だって資格はあくまでも通過点であり、一人前には程遠いものでしょ。
数十年前の常識は今や非常識ということも、
学問ではよくあることです。ですから、あくまでも人間の考えるものは絶対はないですし。
また昨日と今日は違うんです。進化しているという言い方もできますよね。

何かを習っているのはノウハウを与えられることではなくて、あくまでもその過程を探している自分であるということです。そのためのノウハウなんです。
外にあるわけではなく、まず自分を大切に思ってください。
食で言うと自分を大切にすることとは、自分が食べるものを大切に思ってください。
そうすると謙虚に、今度は、料理してくれた人を気遣うはずなんです。
次に料理ができるようになったら、私が作ったもの。食してくれる人を気遣う感謝の気持ちも湧いてるはずです。
作り手としても、いつも100%手作りすることもないし、工夫ができていけばそれでいいじゃないですか。バクバク沢山食べる人もいれば、食の細い人もいる。いつも人を見てあげてください。

思い返してみて、なぜおいしいものを作りたいのか?それは「彼氏に喜ばれたい。」とか「なによりおいしいって自分が思うものを作りたい」とかね。
すべて対象があるじゃないですか。
喜ばせたい人がいることは、とても素敵なことですから、目的があって、体験が生きてくるので、とても上達していきますよ。
 逆に目的がノウハウ習得などとお考えの方は、言葉や文字ばかりを覚える。
そういう大根役者のセリフにしかなりません。
言葉の意味を考える。感じられると大切さが伝わってきますよ。
自分を喜ばせるためのお料理でもいいんですよ。そうすると、一生懸命作っている過程で料理そのものが、一回一回の料理作りが、うまくいったりいかなかったりして教えてくれます。すべては人のための作業でしょう。
そして、まず食材に(食材を作ってくれたひとにも)、さらに料理
を作ってくれた方に、おいしいなぁこれ!ありがとう。自分のためにキッチンに立って汗をかいて、冷たい水に手を晒してくれたわけで、その人に、より感謝を伝えてほしいのです。
美味しかったのは、食材を通して、美味しいもになるように真ごころを尽くしてくれたその人の行為そのものだということを忘れないでほしいです。
つくり手と食べ手のこころの会話なんです。

手を合わせて、いただきます。

学びたいって。何かしたいなぁ?なにがいいかな?外に目をむけるのではなくて、自分の中にある何がスキなのかな。本当の自分、偽りない自分、我慢していない自分、誰かが言っているからとかじゃなくて
私のこころで、殻を脱いで感じてみてください。

教えるは、学ぶのなかば です。私もまだまだ学びの途中なのです。
 


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