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消えない通知

ポケットの中で携帯電話が振動するのを感じた。おそらくさっきSNSにあげた新居の写真に「いいね」がついたのだろう。社会人になってから3年、学生時代に住んでいたぼろアパートが手狭になってきたので、それを引き払って新築のアパートに引っ越した。ちょっと背伸びした家賃だが、ロフトもついているし、クローゼットも大きい。
部屋を完璧に仕上げて理想の空間にするのが俺の夢だった。ちり一つないフローリングに隅々までワックスをかけて、完全に調和のとれた家具を配置した。

「それが新居?なかなかいいじゃん、今度酒持って遊びに行くわ」
リア友の何人かからコメントがついたのを適当にリプライした。俺はSNSの通知をすべて確認してポケットに携帯電話を戻し、本棚の組み立てに取り掛かろうとした。携帯をホーム画面に戻すと、ふと消したはずの通知が残っているのに気が付いた。アイコンの右上に未読通知を示す①のマークが残っている。

俺は全部の通知が消えていないと気が済まない。携帯を再起動したり、アプリを再インストールしたりしたが、それでもだめだった。イライラしたが、それでもそのSNSでだけつながっている友達もいたし、アプリを消すという選択肢はなかった。

それから奇妙なことが起きた。SNSには何も投稿していないはずなのに毎日同じ時間に通知が来るのだ。昼の12時45分。昼休憩の間、会社の近くの定食屋やファーストフード店で俺はSNSから通知を受ける。『N02345さんからいいねが届いています』
通知を開くが、俺は何も投稿していないし、N02345なんてアカウントは知らない。

そのアカウントは2008年の9月1日に作られていて、そいつ自身は何も投稿していなかった。俺はそいつをブロックしたが、どういうわけだか通知は止まらなかった。

ある日の昼下がり、俺は営業周りのために会社の車を運転していた。あのアカウントが誰なのか気になって最近よく眠れていなかった。そいつは毎日同じ時間に、俺の投稿にいいねをつけてくるが、コメントはしない。そいつがつけたいいねの通知はなぜか消えない。今でもSNSのアプリアイコンには未読通知を示す①が残っている。

1週間ほど前、俺はそいつにDMを送りつけた。「お前は誰だ?どういうつもりか知らないが、もう俺のアカウントにいいねをつけるのはやめろ」
だが、そのアカウントから返事が来ることはなかったし、相変わらず通知も続いた。

そのアカウントが開設された2008年といえば、俺はまだ小学生だった。地元の小学校は昔ながらのぼろい校舎で、教師も頭の堅いやつらばかりだ。特に給食時間が最悪だった。ふにゃふにゃになるまで煮詰めた冷めた煮物、室温までぬるくなった臭い牛乳。学校の方針で、俺たちはクラス全員が食べきって片付け終わるまで昼休憩に入れなかった。校庭でドッチボールやサッカーをやるために俺たちは必死になって涙目になりながら給食を食い切った。

社有車は山道を進んでいく。2車線の国道は本線からずれたとたんに狭くなる。県道が山肌に沿って曲がりくねっていた。対向車とすれ違うのがやっとの道だが、何度も通っている道だったし、昼一番のアポイントメントだったので俺はスピードを緩めなかった。ぼろい社有車はエアコンの効きが悪くて、熱い。額に汗がにじむのを感じたのでわずかに窓を開けて風を入れた。そのとたん、最後の力を振り絞って鳴く蝉の声が聞こえてきた。

どこにも愚図なやつはいる。どうしても給食を時間までに食い切れないやつが一人いて、そいつのせいで俺たちは何度も昼休憩抜きになってしまった。外に遊びに行くことができないフラストレーションを、俺たちはそいつで晴らすことにした。「早く片付けさせろよ」とほうきと塵取りを持って席を取り囲んだ。そいつが慌てるのをみるのは面白かった。一度なんて、焦りすぎて吐いたこともあった。だが、悪いことをしているという意識はなかった。教師から注意を受けたこともない。教師も含めてみんなうんざりしてたんだ。

見通しの悪いカーブの途中、ポケットの中で携帯のバイブレーションを感じた。コンパネの時計を見る。12時45分か。運転中だった俺はその通知を無視した。ガードレールが後方に流れていく。だが、その日の通知は一度きりではなかった。連続で何度も何度も通知が来る。俺は恐ろしくなって、思わず携帯を取り出してみた。
『N02345さんからメッセージです。本文:』そいつから初めてメッセージがきたのだ。俺は慌てて携帯をスクロールした。

『片付けさせろよ』

気を取られたのはほんの数秒のことだった。気が付くとガードレールはなくなり、フロントホイールが山道を踏み外し、車体が大きく傾いているのを感じた。ブレーキを踏みこむ暇もなかった。

すべてがスローモーションに感じられた。9月1日、夏休みが終わる日、そいつの死体が見つかったが、遺書はなかった。12時45分。それは昼休憩の終わりを示すチャイムが鳴る時間だ。そいつの死は事故死として扱われ、俺たちはすぐにそいつのことを忘れた。

だが、きっと、そいつは俺を忘れてはいなかったのだ。

#2000字のホラー

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