伝統の職人の技と美しさで魅了する簾の最高峰・京翠簾(きょうすいれん)
翠簾(すいれん)の老舗である京都のみす武は、寛保元年(1741年)創業。初代大久保武右衛門が京都御所近くで暖簾を掲げたのがはじまりで、代々大久保武右衛門を名乗っています。伊勢神宮や西本願寺・知恩院など有名社寺仏閣にも翠簾を納め続けてきました。伝統の職人の技を引き継ぎ、美しい京翠簾を現代に伝えている10代目大久保武右衛門を訪ねました。
多様化する寸法
御簾(みす)は、平安時代に寝殿の中で間仕切りや目隠しとして用いられてきたほか、神社仏閣では神聖な領域と俗界との「結界」の意味をもって用いられてきました。みす武で手掛けている簾のひとつ、京翠簾(きょうすいれん)は、その中での最高級品。創業以来守り伝えてきた格調高い美しさが、祭壇や仏壇に荘厳な風格を与えます。
御簾が一般生活に普及したのは室町時代といわれ、現代では室内装飾としても簾が使われています。和風住宅でも、仏間や縁側軒下などに空間を緩やかに区切る装置として、欠かせない存在になっています。
近年では多様なニーズに対応して、家庭用仏間簾、お座敷用簾のオーダー制作を行っていて、規格外寸法のあらゆる御簾(みす)の製作をオーダーメイドで受けています。
昔は作成するものの大きさは五尺七寸~八寸の規格サイズのものがほとんどでしたが、最近は住宅の天井高や畳の大きさの多様化に伴い、さまざまな寸法の依頼が増えているそう。以前のように定型サイズの在庫だけを持っているだけでは要望に応じきれないといいます。
こつこつ丁寧につくる
御簾の製作は竹の選別からはじまります。材料の真竹は、夏は湿気が多く冬は寒いといわれる京都の気候の中で、日の入る管理された竹林で育ったもの。まっすぐで粘りのある良質の京都産の真竹を使用しています。一方、軒先の簾には近江産のヨシが使われています。
選別された竹を手作業で下処理することから製作工程が始まります。この手作業が後の工程にも影響を及ぼすので、丁寧に行う必要があります。自然素材だからできる竹ひごの節にあわせながら、御簾特有の模様に編んでいきます。次に縁に西陣織の錦、金襴(きんらん)を縫いつけて仕立てます。最後に房、鈎金物を取りつけて完成。これらの作業は丹念に手作業で行っています。
「こつこつ丁寧につくる」ことが何よりも大切だといいます。最後の仕上げも裁断したり、縫い上げるといって細かい作業の繰り返し。一人前になるには10年もの歳月がかかるそうです。
特化した技術の高さ
みす武の工房では現在、縫い付けや房・金物を取りつける仕上段階が行われています。織物・房・金物など、各パーツはそれぞれ専門の職人がつくったもので、各分野に特化した職人が町中にいることにより、京都独特の伝統的な高いレベルの技術が長年にわたり維持されてきました。
近年は予算の都合で、社寺などでは翠簾を新調し直すサイクルも長くなり、60~70年ほどになることもあるそう。それほど昔のものは丁寧に時間をかけた手仕事を見て取れるため、時間と手をかけなければならないという気持ちにさせられるといいます。
また、建築をみて、いかにそれに合うものをつくるかを考える必要もあります。御簾がかかったときに、サイズ・寸法が調和するかを見極める。ひとつひとつの案件ごとに、建物とのバランスを勉強させられます。
伝統と技術を守る
この仕事はなくなることはないとはいうものの心配事も。それぞれの部品を納品してくれる職人が辞めていってしまうという現状があります。仕事が減っていく一方で、高齢になった職人に後継ぎがいないという問題があるそう。
同社の大久保さんは「老舗としての自負も持ちながら、ひとつひとつ緊張感をもって丁寧に仕上げていきたい。お客さんに納得してもらい、伝統と技術を守って伝えていきたい」と話します。
みす武
有職翠簾師 大久保武右衛門
京都市中京区衣棚通二条下る上妙覚寺町
http://www.misu.co.jp
(Photo/永野一晃・みす武)
「翠簾」の他の写真や解説は、「和風住宅24」に掲載しています。
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