今、若い設計者に伝えたいのは、永田の設計の細部を追うならば、この設計作法の真実に目を向けてほしい、ということ
タイトルは、一般社団法人町の工務店ネット代表の小池一三さんに、「建築家・永田昌民の軌跡 居心地のよさを追い求めて」の書籍に寄せていただいた言葉です。
住宅の建築家は、公共建築の建築家のように、名前を聞けば誰もが知っているという存在ではないのかもしれませんが、私たちの住まいを設計してくれる身近な存在ではないでしょうか。住宅を設計する建築家はどんなことを考えて、すまい手(施主)やつくり手(施工者)とどんなやりとりをして家をつくり上げるのでしょうか?
生涯164もの住宅を手掛け、今なおその住宅の魅力と人となりが語り継がれる建築家・永田昌民さん。昨年発行した「建築家・永田昌民の軌跡 居心地のよさを追い求めて」には、永田さんが設計した住宅の実例紹介を、「プロ(建築家/専門家)の視点」「施工者(工務店)の視点」「施主(すまい手)」のそれぞれの視点で解説しています。また、手記やセミナー記録などに残された永田語録、自筆のイラスト、建築家対談などから、建築家・永田昌民の軌跡を追いました。今日はこの本の中から、小池一三さんがあとがきに寄せてくださった文章を抜粋してご紹介します。
2章「永田語録から読み解く」の誌面。永田さんの設計マインドが読み取れるだけでなく、建具や障子、階段、キッチンなどの設計図面と本人が残した言葉と合わせて掲載している
★以下、あとがきより(小池一三)----------------------------------------------
生前、永田昌民の新しい本をまとめるため何度か目白の事務所を訪ねた。そのときA4のザラ紙に描かれた膨大な手稿を見せてもらった。永田のディテールが、どのようにして形になっていったかを跡づけるもので、これを本にすると面白いと思ったけど、永田は「舞台裏は見せないものだよ」と言った。
舞台裏ということでは、「永田流」と言われるプランの数々が、クライアントとの、どんなやり取りを経て形になっていったのか、そのプロセスを知りたいと思ったが、永田は事もなげに「そんなのもう忘れちゃったよ」と言った。「土地のことは、よく覚えているけど」と付け加えたけど。
造園家の田瀬理夫は、晩年の永田の仕事を共にした人だけど、「住まいは風景をなすものなので、彼は足下の草木だけでなく、いつも遠くの景色を見て設計していた」と言う。田瀬と永田との最初の仕事は、都心の小さな旗竿敷地の単身者用住宅計画だった。永田は設計手法のコアに「緑」を置く人で、植栽にくわしい人でもあった。しかし、二人が2001年に出会ってから亡くなる2014年まで、造園は田瀬に委ねた。その最初の仕事が旗竿敷地だったの
は、いかにも永田らしい。狭小敷地であっても、家と家の間から差し込む太陽や、風の動き、隣家の木々などを読み取り、それから空き地に接していたら、将来、その土地にどんなものが建つかを見通してプランを練った。
仙台に建つ、私の娘の家は永田の設計によるが、設計時、家の南側は車6台が駐車している空き地だった。周囲の環境から推して、いずれ住宅地として分筆売却されることを見越した永田は、リビングを2階に配した。8年後、永田が洞察した通りになった。田瀬が「いつも遠くの景色を見て設計していた」と言うのは、現にある状態をいうだけでなく、その土地の地味と、時間空間的なものを包含してのものであろう。
ー中略ー
永田は事務所でメダカを飼っていた。窓辺に水鉢を置き、泳ぐメダカが陽の光できらりと光るさまを見ながら、目を細めて「いいだろう」と呟いた。清少納言の「何も何も小さきものはうつくし」ではないけど、永田は小さきものを愛する人である。私はそこに、永田の設計の特るさまを見ながら、目を細めて「いいだろう」と呟いた。清少納言の「何も何も小さきものはうつくし」ではないけど、永田は小さきのを愛する人である。私はそこに、永田の設計の特質があるように思う。
ー中略ー
住まわれている住宅と土地を洞察しながら、クライアントの暮らし方、息づかい、家族のこれからまでを永田は読み取っており、それは図面の上に生きており、クライアントは打ち合わせを通じて、そのことをよく理解している。
クライアントとの、この揺るぎない信頼関係のなかに永田の仕事はあるのであり、果たしてそれは、本書の建築家たちの寄稿によって裏づけられた。ある筆者はそれを「羨ましいほどの信頼関係」だといい、改めて永田の仕事の内実に触れたよ、と話してくれた。
今、若い設計者に伝えたいのは、永田の設計の細部を追うならば、この設計作法の真実に目を向けてほしい、ということである。この本は、そのための得難い一冊となるだろう。
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