悠久のときを刻む、日本最古の民家・箱木千年家
「和風住宅」では、日本を代表する名建築を掲載しています。今回は「和風住宅2009年版」(2008年10月発行)から「箱木千年家(はこぎせんねんや)」(兵庫県)を紹介します。
「箱木千年家」の通称で知られる箱木家(はこぎけ)住宅は、日本最古の民家といわれています。現在の行政区分では兵庫県神戸市北区にあり、神戸の市街地からは六甲山地をはさんで北側に位置しています。播磨と摂津を結ぶ街道が通っていた山田川の谷あいにある箱木家住宅は、1967年に国の重要文化財に指定されました。
「摂津名所図会」など、近世の記録によれば、この家は806年に建設されたと記されており、そこから「千年家」と呼ばれてきました。社寺建築などは別として、多くの民家はせいぜい江戸時代までしか歴史をさかのぼれないことを考えると、箱木家住宅の歴史は別格といってよいでしょう。
離れの南側外観。右手奥は母屋。
離れは江戸時代中期に改築されているそう。
1300年前にこの地に
箱木家はもともと、この地の地侍で、応永年間(1394~1429)頃にはすでにこの地域の中心的な家柄であったと考えられています。先祖は藤原鎌足とも、清和源氏の流れをくむとも言われています。地元の豪族であった別所氏に仕えて、後に庄屋となった一族です。1300年前には、この地に住んでおり、「千年家」の名もそこに起源を求めているよう。
この一帯は温暖な気候で、冬も降雪はなく谷が狭いので台風の被害も少ないという恵まれた土地。そんな気候風土を背景にして、この千年家は存在し続きてきたように思われます。
ダム建設により移築
この住宅は1977年までは実際に住居として使用されていたようですが、山田川の谷に吞吐(のんど)ダムが建設されることになり、旧所在地が水没するため、1977年から1979年かけて、旧位置から70m東南に離れた現在地に移築されました。
築千年といわれていましたが、この移築時に詳細な解体調査を行った結果、母屋の建設は室町時代と推定されたそう。当初からの部材としては、柱6本に加え、8本の桁、梁、貫などが残っていました。江戸中期に母屋に隣接して離れが建設され、江戸時代末期に母屋と離れを連結し、その間に2部屋設けて、屋根を広げてひとつの家屋にしていたこともわかりました。移築・解体修理時に、建築当初の姿に近づけるように復元され、現在は母屋と離れが別棟として建てられ、築山・中庭・納屋・土蔵なども移築前と同じように配置されています。
2005年に当初からの材である松の柱6本の放射性炭素年代測定が行われ、その結果、年輪の最も外側の炭素濃度から、1283年~1307年(鎌倉時代後期)に伐採された木が使われていることがわかったそうです(朝日新聞2008年5月20日)。
室町時代の大富豪の家
母屋の屋根は巨大で、それに加えて軒が極端に低くなっています。実際に間近に立ってみると、軒先は目線ほどの高さになり、遠目の外観では縄文時代から弥生時代にかけての竪穴式住居を思わせるような形態になっています。周辺は麦の産地でもあり、豊富だった麦藁を使ってこの大きな屋根を葺いていました。また、この大きな屋根を支えるために壁の面積が多く、窓の数が極端に少なくなっています。建設当初は、まだカンナが登場する前だったため、手斧で仕上げた様子が床板や壁板に残っています。
母屋の内部は東半分が「にわ(土間)」、西半分に床が張られています。床部分は3室に分かれていて、表側(南側)が「おもて(客間)」、裏手は土間に面した部分が「だいどこ(台所)」、奥が「なんど(納戸)」となっています。土間には竈(かまど)と厩(うまや)が併設されていたため、実際に人間が起居していたのは「おもて」「だいどこ」「なんど」の3部屋でした。また、建設当初は畳が敷かれていなかったこともわかっています。現代の感覚からいえば3部屋とはかなり質素に思えるかもしれませんが、一般農民の住まいが4~5坪の時代からすると、大富豪の住まいだったことがうかがえます。
主室の周囲には寸法がそろった太い柱を一間ごとに配置し、梁・桁の類が細くなっており、開口部の古い柱にはかなりの幅の広い面取りがなされています。離れは、8畳と6畳の2間に畳が入り、書院や長押、京壁など座敷としての立派な体裁を整えていることからも、この地で重要な地位を占めていたことを示しています。
離れには、京壁や長押など、
座敷としての形式が整っています。
箱木家は、屋根は茅葺、壁は土壁というシンプルな木造建築。かつては地域の気候風土の中で手に入れることのできた、自然の恵みでつくられています。日本の木造住宅は長持ちするということを、この家が立証していることも見逃せません。社寺建築などは権力者の力により、日本中から選りすぐりの素材を使っていましたが、身近な素材を使ったであろうこのような民家であっても、遥かな歴史を刻んでいることに驚かされます。
にわ(土間)から囲炉裏のある「おもて」の間を見たところ。
柱は石を置いただけの基礎にのせられています。
天井は囲炉裏の煙が抜けるように細竹を詰め打ちに。
母屋と離れは江戸時代末期にひとつの建物にまとめられていましたが、
もともとの姿に復原されました。
重要文化財 箱木家千年家
所在地:神戸市北区山田町衝原(つくはら)字道南1-4
※平成30年10月27日から土曜・日曜に公開していましたが、当面休館予定
箱木家千年家が掲載されていた「和風住宅2009年版」(2008年10月発行)は完売していますが、現在「和風住宅25」が絶賛発売中です。特集は「障子の美」。日本の伝統的な和風住宅の事例をたくさん掲載しています。ぜひご覧ください!