酒蔵に掲げられる「杉玉」は、なぜ杉が使われているの?
神社のご神木や参道には、どこも杉の木が多く見られますね。
杉の「まっすぐ上に伸びる」特徴から、古来、神様が地上に降りられるときに杉の木を伝ってくると考えられていたとのこと。そのため、杉の木は、神が宿る木として長きにわたって大事にされているのですね。
そして、冬の風物詩のひとつ、新酒の合図として造り酒屋の軒先に、毎年新しいものが掲げられる「杉玉」も、なぜ杉が使われているのでしょうか。
奈良県にある、お酒の神様を祀られている大神神社。古くから、周囲の杉には神様が宿っていると考えられており、参拝する蔵人たちが「美味しいお酒ができるように」という願いを込めその杉の葉を飾っていたそうです。
その習慣が次第に広まり、江戸時代には全国の酒蔵で見られるようになったといわれています。
杉の文化や魅力について深掘り
文化として後世まで伝わるほか、社寺や築城などの建材や、生活にも欠かせない身近な木として重宝されてきた「杉」。
書籍『日本の原点シリーズ 木の文化 杉』では、建築家や棟梁、デザイナーが杉について語り、文化のほか、歴史についても深掘りしています。
スギ活用の歴史は古く、なんと約6000年前の縄文時代の遺跡から、スギの丸木船が出土しています。この話についての鈴木三男さんの記事を書籍から抜粋紹介します。
※表記は書籍のまま
杉がつちかった日本文化
スギと日本人、つきあいの歴史/鈴木三男
スギのきた道
私たちの生活に一番密着している木としてスギを挙げることができるだろう。スギが古くから私たち日本人とつきあってきたもっとも馴染み深い木であることは疑う余地がない。では、このつきあいは一体いつから始まったのだろうか?
氷河時代には日本列島は寒冷で乾燥した気候に支配され、東北日本はトウヒ、カラマツ、トドマツの仲間などの亜寒帯性の針葉樹が卓越し、西南日本の大部分は冷温帯性の落葉広葉樹林であったと考えられている。冷温帯の落葉樹林といっても湿潤な気候下で生育するブナはたいへん少なく、乾燥と寒さに強いナラの仲間(ミズナラ、カシワなど)やカバノキの仲間が大手を振っていた。そのころスギは、日本海側の海岸沿いの多少とも温暖で湿潤なところに逃避地(これをレフュジアという)を見いだし、細々と生き延びていたという研究がある。
約2万年前のもっとも寒冷であった時期を境に地球の急速な温暖化が始まった。氷河時代は約1万年前に終わり、それ以降、温暖化はさらに加速した。日本列島では温暖化と同時に湿潤化が進み、スギにとって好適な環境が広まり、それに伴って日本列島に広くスギ林が拡大したといわれている。日本列島の中でも特にスギが多く存在していたのは本州の日本海側の地域と東海地方だったようだ。(中略)
縄文時代に始まるスギの利用
福井県三方町の黒田にほど近いところに国指定史跡になっている鳥浜貝塚遺跡がある。ここは約6000年前(縄文時代前期)の遺跡で、低湿地にあることから大量の有機質の遺跡が出土したことで有名である。圧巻であったのはなんといっても丸木船で、長さ6m、幅63㎝、材質はたいへん薄く、側弦も低いので内水面用の浅い船であったようだ。推察するに直径80㎝くらいのスギ材を割ったり焼け焦がしたりして刳りぬいたもので、たいへん手間がかかっている。鳥浜貝塚遺跡ではこのほか大量の割板材などにもスギが使われ、鳥浜縄文人の重要な木材資源であったことがわかる。
東海地方は日本海側とは対照的に夏の降水量の多いところであるが、その湿潤さのおかげでここでもスギ資源が豊富であり、古くからスギ材が利用されてきている。静岡市の登呂遺跡では高床式の建物の柱や板材、梯子などはもちろんのこと、水田の畝を保持する矢板や杭など、ありとあらゆるところに大量のスギ材を使っている。特に注目したいのは、横木取りにした刳物の片口や把手のついた器、そしてなんとスプーンまでもスギでできていることである―――
抜粋紹介した、本文に登場する「縄文時代のスプーン」は興味深いですね!
本誌には写真でも紹介しています。
杉についての歴史や魅力は、まだまだ続きます。
気になる続きは、ぜひ本誌で。