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熊本と中東

 今年の夏休みは熊本を旅した。ちょうど熊本では「南蛮柿フェア」というのをやっていた。南蛮柿とはイチジクのことだそうだ。
 イスラエルやシリアでは1万年以上昔の遺跡からイチジクの種が見つかっていることから、世界で最初の栽培食物はイチジクだという説がある。ただ、野生種と栽培種を区別するのは困難なので、イチジクが最初の栽培食物だと断定するのはむずかしい。とはいえ、イチジクが、オリーブやブドウと並んで、人間にとって古くからもっとも馴染み深い栽培食物の一つであったことは間違いない。旧約聖書の最初の人間、アダムが楽園の蛇に唆されて知恵の実を食べ、恥ずかしさを知るようになり、イチジクの葉で隠した逸話はその証だろう。
 このことからも推測できるように、イチジクの原産地は中東とされる。日本にはそこから中国を経て、あるいはヨーロッパのキリスト教宣教師によって伝えられたものと考えられる。「南蛮柿フェア」のパンフレットによれば、16世紀にヨーロッパを歴訪した天正遣欧少年使節に随行したイエズス会のメスキータ神父がポルトガルから日本にもたらしたものだそうだ。他方、天草では、イチジクがもたらされた地は天草だとされている(たとえば、こちら(NHK)とかこちら(朝日新聞))。だが、メスキータ神父の書いたもののなかには天草説を補強する証拠はない(くわしくはこちらを参照)。
 一方、江戸時代の学者、貝原益軒はその書『大和本草』のなかで、「無花果」について寛永年中、西南洋の種が長崎にもたらされ、日本各地で栽培されるようになったと書いている。正解はわからないが、とりあえず、九州のどこかにもたらされた可能性は高い。
 ちなみに、中国にイチジクがもたらされたのは唐代以降といわれている。中国ではイチジクは一般に日本と同様「無花果」と表記されるが、日本語の「イチジク」という読みかたはやはり中国の「映日果」の語が訛ったものと考えられる。さらにいうと、「映日果」の「映日」はペルシア語の「アンジール」に由来するというのが定説だ(「果」はもちろん「果物」の意)。

天草土産の定番「四郎の初恋」
イチジクは天草にもたらされたことになっている

 さて、熊本と中東のつながりといえば、上の画像にある「四郎」こと「天草四郎」からもわかるとおり、中東由来の宗教、キリスト教との関係も忘れてはならない。だが、おそらく、天草四郎の時代のキリシタンも現代の熊本の人も、天草四郎やキリスト教の教会から中東を思い浮かべる人はほとんどいなかったであろうし、今もいないであろう。
 今日の熊本と中東を考えるうえで、興味深いのは、阿蘇の小国町にある「押戸石の丘」ではないだろうか。途中の案内板には「縄文の聖地パワースポット」の惹句があり、否応なく怪しさを感じてしまう。

押戸石の丘の案内板

 さて、ここに何があるかというと縄文時代の巨石群である。石のなかには名前がついているのもあり、たとえば、下の画像は「はさみ石」である。

はさみ石

 問題は次の画像だ。名前は「鏡石」という。

鏡石

 押戸石の丘のパンフレットには次のように書かれている。

シュメール文字が刻まれた、鏡石。
鏡石に刻まれているのは、蛇神と神聖なる雄牛を表すシュメール文字です。ここの地名は南小国町中原(なかばる)。石に刻まれた蛇神は「ナーガ」、聖牛は「バール」と読むことから、中原という地名はシュメール文字の名残だと考えられています。

押戸石の丘パンフレットより

 また、押戸石の丘のウェブページにはさらに具体的な記述がある。

押戸石の丘巨石群に不思議な線刻文様があることを見つけた南小国町教育委員会はその調査を日本ペトログラフ協会の吉田信啓会長に依頼、シュメール文字(ペトログラフ)であることが確認されました。
その後、この巨群石は人工的に配置された9組の列石遺構であり、先史時代の巨石文化遺跡であることが、ユネスコ岩石芸術学会をはじめアメリカやカナダの岩石芸術学会等の国際学会で認証されました。
(句読点は引用者)

https://oshitoishi.net/

 ちなみに、筆者には蛇神も雄牛も見つけることができなかった。パンフレットでは、下記のような文字が刻まれているそうである。

シュメール文字(押戸石の丘パンフレットより)

 なお、ウェブページで言及されている吉田信啓なる人物は日本ペトログラフ協会の会長や国際岩石芸術学会連合の日本代表などをつとめたかたで、『超古代、最古・最高・最尖端文明は縄文日本だった!』や『奇跡のペトログラフパワー: 超医学は実在する』など多数の著作を残している。
 シュメール人が縄文時代の日本にやってきて阿蘇の地で文字を残していったということなのだろうか。それとも、縄文時代の日本に住んでいたものがメソポタミアにまで進出し、シュメール文明などを築いていったということなのだろうか?ちなみに、シュメール文字というと、楔形文字が思い浮かぶが、それ以前にも絵文字のような古拙シュメール文字が存在していたことが知られており、実際に押戸石の丘の「文字」が古拙シュメール文字であるなら、縄文時代の日本人がメソポタミアに移住して、シュメール文明を発展させたと考えたほうが自然かもしれない。
 なお、筆者は、吉田信啓の著作を一つも読んだことがないので、適当に思いつきで書いているだけである。とはいえ、わずか4か月だけであるが、その昔、イラクに住んでいたものとしてはかなり興味をそそられる話ではある。
 ちなみに、阿蘇からそれほど遠くない熊本県菊池市には、「神龍八大龍王神社」というのがあり、ここに祀られた「神龍八大龍王神」は宇宙最高の神で、1575年にこの地に降りてこられたという。

 少し離れたきくち観光物産店というところで、神龍八大龍王神社の「福蛇の袴」を買ってから、お参りにいくと、願い事がかなうといわれているらしい。あるいは、シュメールの蛇神「ナーガ」と関係があるのだろうか?

 いちおう、筆者も購入し、神社にお参りしてみた。1週間経過したが、今のところ、とくにご利益はない。

(保坂修司)


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